第598回 自分を詠う

言葉の選び方や、ものの見方がとてもいいなぁ、と、ひそかに心惹かれている人がいます。彼女が俳句を嗜んでいると知って、以前から気になっていた俳句にますます興味がわいてきました。

とはいえ、膨大な…しかも年々増え続ける季語について精通する自信はとてもありませんし、現代国語の成績はわるくなかったものの古文がとても悪かったというトラウマもあって、自分が句を詠めるようになるなんてイメージができません。

そこで、まずはどんなものなのか、ちょいと知識だけでも仕入れてみよう、と、俳句についてある本を読んでみたところ、思いのほか音楽表現にも通ずることが多いことに驚きました。

例えば“リズムを大切にする”。これはもう、なんの説明も要りませんね。芭蕉曰く「句調(ととの)はずんば舌頭に千転せよ」…つまり、句の調子がうまくととのわないときは、舌の上で実際に何度も口ずさんでみるとよい、ということなのです。かの高浜虚子も、詩の音楽的要素の大切さを説いています。意味をつなげることだけでなく、音やリズムを大切にしなければ、句の良さは半減してしまう、というのです。何度も何度も声に出してみることは、何度も何度も違うアプローチで、あれこれを弾き比べてみる練習にも通じます。

それから、“常識人であるなかれ、詩人であれ”。常識がいくら高ぶっても詩にはならない。詩の世界に遊ぶということは、そもそも日常の束縛から脱却することである、とありました。詩、を、音楽に置き換えてもまったく同じことがいえると思います。既成の考え方やとらえ方、表現に落ち着くことなく、常に自由で冴え冴えとした自分自身の感性を磨いていることの大切さ…。

さらに“説明しすぎない”ことの大切さ。例えば、良かれと思って「コスモスゆれる」などといってしまいがちですが、コスモスはだいたいは風に揺れているものであって、ピタリと静止して微動だにしない、なんていうことはない。従って、そういった説明は平凡で魅力に欠けた印象にしかなりえない、と、きっぱりと指摘されていました。なるほど、説明しすぎ…つまり、饒舌な演奏は、確かに一瞬「おお!上手いこと弾くな」と感心するものの、すぐに飽きてしまい、記憶に残りにくいものです。

そして“自分を信じて詠う”こと。いくらかたちとしては格好がついていても、新鮮味に欠くものはいい句とはいえない。そういうものはたいてい“俳句らしい素材を俳句っぽくそれらしく”作ってしまったもので、「わかってもらえるだろうか」と疑心暗鬼になってついつい、既成句のまねになってしまっていたり、型にはめてしまっているのである、とありました。自分の感性をどこおかに置き忘れてしまうことなく、自分を信じて自分のことや周辺によく眼を向け、新鮮な素材や感動を得るようにという態度が自分の行き方に直結すれば、俳句はまぎれもない自分史を綴るものになるでしょう、と。

「う~ん…」つい、声が出てしまいました。自分の表現だとばかり思い込んでいたけど、それは実はどこかの巨匠の演奏からの刷り込みを受けていて、本当の自分オリジナルではなかった、と気づくことは、少なくないのです。自分の感性と向き合いながら楽譜に書かれていることについて誠実に、自由に解釈を拡げ、それを自分の言葉に置き換えて、説明過多になることなくその“素材(作品)”の魅力を聴き手に伝えることの難しさ、深さ。俳句における様々な心得が、こんなにも音楽表現とせ€相通ずる部分があるとは!

数日前に珍しく体調を崩し、4日ほど寝込んでしまいました。39度近い熱にうなされ、体の節々が不具合をクレームしているかのように痛みを主張し、起き上がるのにも一苦労。幸い、食欲だけは衰えませんでしたが体力は落ちぶれ果てて、用を足しに起き上がっただけでも、はあはあ息が切れる始末。4日間は外出もまったくできませんでした。

4日ぶりに平熱に戻り、ごはんの支度をしたり、掃除・洗濯をしたり、ピアノを弾いたり…と、“いつも”のように行動できるようになったとき、それまであたりまえに思っていたひとつひとつのことがとても幸せで、特別なことに感じられました。ツイッターに思わず「平熱さいこー!」などと、つぶやいてしまったほどです。あるいは、そんな日常の“あたり前にありがたいこと”に、きちんと感謝する気持ちがたりなくなってきていたから、病気によって神さまがそれを教え諭してくださったのかもしれません。

幸せも、楽しみも、毎日のなんでもない生活の中に充分すぎるほどぎっしりと詰まっているのです。限られた文字数の中に感性を映しこみ、言葉やリズムを味わい、遊びつくす俳句。音楽同様に俳句もまた、私にとって、なんでもない日常を特別なものにしてくれるツールになってくれたら、どんなにステキなことでしょう。

今回のエッセイは、最近ほっこりとした、こんな俳句で締めくくることにしましょう。“叱られて目をつぶる猫春隣”(久保田万太郎)

(*参考文献 『俳句の入門』 藤田湘子著 NHK出版)


*次回599回の更新は、当サイトのサーバーの引越しに伴い、2月8日となります。ご了承くださいませ。

2013年01月25日

« 第597回 日常を愛でること | 目次

Home