第597回 日常を愛でること
先日、首都圏では数センチの積雪が交通をはじめとする都市機能を麻痺させ、多くの商店を早じまいさせました。翌朝は何を履いていったらよいものか、いったいどのくらい早く出勤したらよいのか、多くのサラリーマンを悩ませ、慣れない雪かきの作業をした多くの人に腰痛や筋肉痛を負わせました。
除雪車の配備もないし、どこの国道にも県道にも融雪剤は常備されていない(されている場所があるのかもしれませんが、それについての情報がかぎりなく少ないので、機能しません)。スタッドレスタイヤにしている車もほとんどありません。首都高速は路肩がないからレッカー移動もままならないし、高架道路は下を吹き抜ける風の冷たさで思いのほか路面に積雪、凍結してしまって、渋滞の解消は深夜になってもびっくりするほどすすみませんでした。
雪かきスコップもなかなか売っていないし、雪かきのときの腰のいれ方や雪の寄せ方に関する経験や知識も、ほとんどの方はありません。雪国歩きをしないでいつものように歩いて、転倒してしまった人もあとを立ちませんでした。地震や放射能だけでなく、気候の変動に対しても“危機管理”が必要であること。そして、雪が降る、ということを“想定”して、それに備えることの必要性を教えてくれた、雪でした。
それでも、子どもたちはおおよろこび。雪をものともせずに元気にレッスンに来た子どもたちに「○○ちゃん、雪だるま、つくった?」とたずねると、ほとんどの子どもたちは「うん!作ったよ!!雪合戦もした!」と、目を輝かせました。「雪、好き?」「うん!」「いいわよね。雪って、キレイだし、いろいろなことをして遊べるし…。でも、毎日降ったら、どうかな?」「う~ん…」ちょっと表情が曇りました。「あのね。お父さんが、雪かきして筋肉痛になったって言ってた…」「あら大変!毎日雪が降って、なかなか溶けなかったら、どうかな?」「う~ん…。お父さん、ずうっと筋肉痛になっちゃうのかな。それはいやだな…」
来る日も来る日も雪が降り積もり、一日に三度も雪かきしなければならない日もある地域があること。その地域はあまりにも雪が多いために、道がふさがれて通れなくなってしまうので、除雪した雪をトラックが運び、それを所定の“雪置き場”に置かなければいけないほどであること。しかも、雪に閉ざされる期間が5ヶ月~半年近くにも及ぶ場合があることを話すと、子どもたちはあらためて驚きます。サッカーや野球の練習がここのようにできない場所があることなど、知識としては知っていたことも、雪の存在を実感すると受け止め方のリアリティーが違うようです。
それにしても子どもは、非日常を楽しむ天才です。いつもと違うことは、どんなことでも楽しんでしまうのです。いつもと違う天候に見舞われること。いつもと違う場所に行くこと。新しい靴を初めて履いて学校へ行く日。なかなか会えない誰かに会いにいくこと。彼らにとってはそれらが、ワクワクせずにはいられないイベントなのです。大雪や大雨で学校が休みになるのも、なんだかわくわく。ショッピングモールのフードコートで何か食べるのも、わくわく。
非日常を好むのは、案外おとなも同じかもしれません。旅に出たり、劇場やコンサートホールにでかけたり、奮発してステキなレストランでディナーを頂いたり…。非日常的なイベントはおとなにとっても、子どものときのあのワクワクを思い出させてくれる大切なものなのです。
ふと、思いました。もしもその非日常を日常にできたら?つまり、日常のなかに非日常を感じることができたら、毎日がもっと楽しくなるのではないかしら、と。
非日常を楽しむ、というのは、なにもお金のかかることをすることだけではないのです。子どもたちのように、積もった雪の上をさくさく音をたてて歩くことを楽しむもよし。散歩中に梅が一りん咲いているのを見つけ、しばし足を止めてながめるもよし。しまいこんでいたとっておきの器を引っ張り出して、なんでもないお惣菜を盛り付けてみるもよし。いつもは音楽をかけながら何かをするところ、何もしないで音楽だけを全身・全心で聴き入って味わうもよし(考えてみると音楽は、そんなふうに日常を楽しむためにも、とてもいいツールなのではないでしょうか)。あたりまえに思っていたことを、「ありがとう」と、感謝の気持ちを言葉にして相手に伝えるもよし。
人々が“幸せな人”と呼ぶのは、そんなふうにしなやかに日常を楽しみ、愛でることができる人のことなのかもしれません。そんな、子どものように素直でのびやかな感性をもって毎日を過ごすことができたら、いつも穏やかに微笑んでいられる人に、なれそうな気がします。