第596回 新年の信念
新しい年は、誰にでも訪れます。毎日、新しい日が訪れるように。
それは当たり前のことのようですが、朝を迎え、陽のひかりに目覚めることができるのは、生きているあかし。神様に与えられた、限られた時間の営みなのだ、と、この頃、つくづく感じるようになってきました(トシのせいかな?)。私にとって新年は、それを改めて認識させてもらえる、一年に一度の貴重な機会です。
有言実行、というステキな言葉があります。文字の表すとおり、“口にしたことは成し遂げる!”です。その四文字熟語のもつ力強いリズムと語気にあやかって、この場をお借りして目標を三つほど発表したいと思います。
ひとつ。いつも心からの笑顔で!ふたつ。常に豊かな気持ちでいることを心がけよう!みっつ。きちんと学ぼう!
我ながら小学生みたいですが、まぁこんなところです。この三つは基本的にはここ毎年変わらないのですが、みっつめの内容はその年その年でさまざまです。その主語は、新しいことでなくても新しいことでも、前の年からの継続でも、かまわいません。きちんと学ぶ、というのは私の永遠のテーマです。
そして、今年はひょんなことから、とても楽しそうなことを見つけました。
私事ですが、美奈子という名前なので人からよく「みなちゃん」「みなさん」、あるいは「みな」と呼ばれます。mina
というのがフィンランド語では、一人称の“私”を意味するのは知っていました。また、古代ギリシャ語では“通貨”のことをいい、その影響からかスペイン語でminaは“宝の山”という意味を持っているのだそうです。ここまでは知っていました。
つい先日の、南インド料理店のシェフをしている友人の誕生日のことです。何かインドの神話に関する本をプレゼントしたいと思って本屋さんを物色し、あれこれ立ち読みしていたところ(ごめんなさい!でも、ちゃんと購入しました)、その中に“ミーナークシー”という名の、青い肌と魚の目を持つ、南インドの美しい女神が目に留まりました。あのシヴァ(スンダレーシュヴァラ)の奥さまの一人で、人に幸運を与え、病気からまもるという役目をもっている海の女神様だということでした。そう、インドでminaとは、魚のことだったのです。
ちなみに、日本でも数年前に大ヒットしたインド映画『ムトゥー・踊るマハラジャ』に登場し、来日したことものあるとても綺麗な女優さん、ミーナさんの名前も、じつはこの女神様からとっているそうです。
ソロアルバムで24のピアノ作品をとりあげることになったフィンランドに興味を持った切っ掛けのひとつが、自分の名前とフィンランド語のつながりでした。それが、(部分的に、ではありますが)共通する名前をもつそんなにも美しい…しかも、「海」の女神様がいるなんて!俄然、インドが気になってきました。もともと、インド独特の伝統的医学アーユルヴェーダや、ベートーヴェンやジョン・レノンも傾倒していたインド哲学には興味があったのですが、そうなってくると哲学、医学、思想がすべて盛り込まれているヨーガも、きちんと学びなおしたくなってきたのです。
かつて独学で学び、そのあと教室のレッスンにも通ったことがあったのですが、腰を痛めそうになってお休みしたままになっていました。早速、またも本屋さんにいってある本を手にとってみると…「ヨーガは対処療法ではありません。どの教典にも、この病気にはこのポーズ、などとは記されていません。ヨーガをして体を痛めるのは、ほとんどが、そのような“症状別”ポーズで無理をして、バランスをくずした人です。」
様々な流派への誤解についても書かれていますが、ハリウッドヨガ、パワーヨガのように、美容やファッション性を重視したヨガについては、ひとことの記述もありません。「ヨーガの目的は“精神の平安”、“生命の喜び”を実感すること。エネルギーを消費する体操とは反対に、エネルギーを充電することなのです(*抜粋)」と、あるではありませんか。「ヨーガは哲学であると同時に、芸術である」というフレーズも、目に飛び込んできました。
ヨーガの教典には美しい言葉がたくさん出てくるのも、魅力です。先ほどの“精神の平安(シャーンティ)”や“生命の喜び(アーナンダ)”。ヨーガで大切な呼吸法をプラーナーヤーマというそうですが、プラーナというのは“生命のエネルギー”のこと。また、ヨーガの目指す“身心一如”は、大自然である大宇宙(ブラフマン)と、人間の体、つまり小宇宙(アートマン)の調和だといいます。
音楽もそうですが、なんとなくお手軽に、ではなく、きちんと襟を正して学ぶことからのみ得られる“得がたい”ものにこそ真の価値があり、そこにこそ本当の愉しみがあると思っています。今年、縁あって再び出会ったインドの宝物について、これからきちんと学び、少しずつ近づいて、深めていけたらと願っています。