第589回 フルヴァツカをいく!④
ザグレブのホテルでの朝食。性格俳優のような顔立ちのウエイターがややたどたどしい英語で「コーヒーはいかがなさいますか?」と、まるで卵料理(スクランブルエッグ、目玉焼きなど…)の好みを尋ねるように聞いてくれたので、いつもはブラック派なのですが「コーヒーを…ミルク入りでお願いできますか?」とお願いしてみました。彼は同じように一人で朝食のテーブルについているイギリス人紳士にも丁寧に尋ねていましたが、苦戦しているようでした。「紅茶をたのむよ」「それは、どのようにいたしましょう?ホワイト、ブラック…」「え?ああ、僕の国ではね、紅茶とオーダーすれば90パーセントはストレートで、ミルクを別添え、ということを意味するんだ。で、ブラックティー、という表現は、一般的にはしないんだよね。ちなみに、ハーブティーはグリーンの色でもグリーンティー、とは言わなくて、それは日本茶を意味するわけだ。いやね、僕の国では、という話だけど。…で、僕にはストレート。ミルクはなしね。」
ああ、これだから強国の方は…。イギリス人らしいといえばイギリス人らしいといえるけど、せっかく彼が丁寧に好みを確認してくれたのだから、忙しい彼をつかまえてそんなレクチャーなんてしないで、素直に答えたらいいのに…、などと思いつつ、知らん顔してしばし待っていると、その彼が「お待たせしました」と、コーヒーカップを持ってきてくれました。見ると、なんと愛らしい女の子の顔のラテアートが施してあるではありませんか!ホテルの朝食でこんなラテアートをしてくださるなんて初めてのことにびっくり(もっとも、普段は滅多にヨーロッパでは朝食をホテルでとらない、ということもありますが)。良い意味でのアットホームなサービスに、睡眠不足のどんより感も吹き飛びました。食事の内容は特別なものではありませんでしたが、数種類のハム、サラミ類やチーズ、乳製品や果物、それに季節の野菜のソテーなどが並び、ヨーロッパに来たぞ、という実感に浸るには充分な、満足のいくものでした(この実感を得るのが好きなので、いつも旅の一泊目だけはホテルで朝食をとることにしているのです)。
その一時間後。「チェックアウトをお願いします」「はい。あ、昨夜のお店、お気に召しました?」「とっても美味しかったしリーズナブルで、感じの良いお店だったわ。教えてくださって、感謝します」「よかった!」「朝食も美味しくて、ついつい食べ過ぎちゃった…」「ふふ、大丈夫ですよ、お昼までにはたっぷり時間があるから!」「“自家製カッテージチーズのサワークリーム和え”というのが、すごく美味しかったな。日本に帰っても、食べたくなりそう…」「私もそれ、大好き!」女性同士の会話は、どこの国でも大差がないのでありました。
長距離バスターミナルへ移動する道すがら、名物の朝市をひやかします。どこの街でもこの風景には心がおどり、大好きです。たいそう立派なバナナを一本買って、リュックにいれました。「痙攣には、バナナがいいんだ」という父の声が聞こえてきたのでした。実は朝食のとき、性格俳優さんの目を盗んでサンドイッチを作っておきました。バナナが加わって、今日のハイキング・ランチは完璧です。
世界遺産になっているだけあって、プリトヴィツェ国立公園行きの長距離バスにはたくさんの外国人が乗り込みましたが、そのほとんどが日本人であることに、あらためて驚きました。途中で休憩をとって、3時間ほどで到着。バスを降りても、ほとんど何の案内も目に入ってきません。そうそう、これこれ。この、ヨーロッパの国立公園にはしばしばみられる“適当に放置される”感じが好きなのです。
旅行中の全荷物をもって、ここに来たのは私だけのようでした。まずはこれを、どこかに預かってもらわなければなりません。日本のようにあたりまえにコインロッカーがないことくらいは、承知していました。「どこか、荷物を預かってくれるところをご存知ですか?」受付の女性に聞くと、「そこの階段を右に300メートル上ったところにあるホテルで、預かってくれるわよ」と、てきぱきと教えてくれました。階段、300メートル、上り、という三つの単語が、重くのしかかってきました。雨は上がらず、それどころかかぎりなく土砂降りに近い勢いになっていたのです。
それでも、無事に預かってもらえて(宿泊客ではないので、もちろん有料でしたが)、いざ、アメニモマケズ公園内へ!バスや遊覧船を使いながら、簡単な地図を頼りに歩きます。風光明媚な滝や魚たちが群れを成して泳いでいるのがはっきりと見て取れる、澄んだ湖。鳥の羽ばたく音、水の流れる音、葉ずえの音。気持ちのよい景色と音につつまれながら、頭を空っぽにして、そのぶん感性を研ぎ澄ませて、ただ歩くこと以上に気持ちのよいことってないわ、と、思いながら…。(びっくりするような大声で仲間とやりとりする中国からの団体客に、時おり現実に引き戻されはしましたが)。
息が白くなるような低い気温でしたが、歩いていると体の心から温まってきます。「ボンジュール、マダム!」すれ違いざまに小学生の子どもたちからニコニコしながら声をかけられて、つい「ボンジュール!」と返事をします。なぜがこのあとも、この国では何度かフランス人だと思われるのでした。
高台にある展望台や、一番の名所になっている大滝にさしかかるころには、あんなに雨が降っていたなんてウソのように、すっかり青空が広がっていました。3時間半のハイキングのあいだ、足が痙攣することは、ありませんでした。公園の出口にもどるバスを待つ間にベンチで食べたサンドイッチ&バナナのランチの、美味しかったこと!
降りたバス停にもどり、今度は次なる町、スプリットへのバスを待ちます。この雰囲気だと、時刻表の時間よりも30分は遅れてきそうだな、と踏んで、時間通りにこなくてもあまり不安にならないぞ、と自分に言い聞かせ、のんびり待つことにしました。のら猫が一匹、近づいてきました。餌を期待しているのかもしれないけど、リュックはすでにすっからかん。ごめんね。「おや、お友達と一緒なんだ」今度はインド人らしき男の人が、笑いながら声をかけてきました。彼が待つのは同じバスではないとのことでした。
それらしき長距離バスはいっこうにやって着ませんでしたが、やはり予定時刻から30分送れて到着しました。「スプリット行きですか?」「そうだよ」約4時間のプリトヴィツェ滞在にまったく疲れを感じることないまま、6時間ほどのバスの旅が始まりました。スプリットの到着予定時間は20時頃。そこではどんな景色、出来事がまっているのでしょう。
(フルヴァツカをいく!⑤に続く)