第588回 フルヴァツカをいく! ③
果たして、出発時間の1時間ほど前にルフトハンザの制服のご婦人がどこからともなく現れました。「このあとの、クロアチア航空のザグレブ行きを予約しているのですが、搭乗券を発券していただけます?」「お客さま、お名前は?」「スズキミナコです」「ああ、スズキさまですね。搭乗券はこちらに既にご用意できております。通路側、窓側、いかがなさいますか?」おお!まさに果報は寝て待て、です(ちょっと違うけど…)。
クロアチア航空の機体は思ったよりも大きく、しかも満席でした。乗ってしまうと、あっけないほどあっという間にザグレブに着きました。空港で両替をすませ、バスで市内に向かいます。ザグレブには便利な市電があるのですが、素晴らしいことに中心の旧市街地の一部が、無料区間になっています。観光客を狙った犯罪はことさら厳しく罰せられることからも、クロアチアという国が観光にとても力を入れているのが伺えます。
ホテルはすぐに分りました。スタッフの女性はとてもフレンドリーです。「何かあったら何でも聞いて下さいね。例えば、郷土料理がおいしいお店は?とか…」「あ、それ、教えていただけますか?」実は、今夜のディナーは、宿から歩いて4~5分のところにここと決めていたところがあったのです(そこで注文するお料理も、決めてありました)が、参考のために尋ねてみました。彼女がオススメよ、と教えてくれたのは、なんと私が行くことにしていたお店でした。「歩いてすぐだし高くないし、とても美味しいお店よ。」「じゃ、そこに行ってみるわ」「ぜひ!どうだったかあとで感想を聞かせてね」
まだ午後三時。パリでの待ち時間の長さは正直、辛いものがありましたが、その代わり明るいうちにチェックインして半日観光もできるのはありがたいことでした。早くザグレブの街を歩きたくて、部屋に荷物を置くと一分を惜しんで外に出ました。機内食が意外に軽かったので、まずはしっかりおやつを食べなきゃ。最初に向かったのは、地元っこにも人気のケーキ屋さんです。
ハンガリー時代に一番頻繁に食べたフランツィア・クレーメシュ、というケーキがあります。高さ13センチもの立方体をなしていて、底は軽いパイ生地、上部は薄いスポンジ生地、それ以外の約12センチ?はふんわりしたカスタードクリーム(!)という、シンプルにして大胆なビジュアルのケーキなのですが、これがいくらでも食べられてしまう優しい味なのです。ザグレブではクレームシュニテ、という名で、これとほぼ同じケーキがあるのは知っていました。あの味に10年ぶりに再会できる!…迷わず私はそれをオーダーしました。
うう。これが日本にあったなら、私はハンガリー時代のように、ほぼ二日に一度は食べることでしょう!(たまに、一度にふたつ食べていたのは、ここだけの話です)当時のハンガリーではひとつ20~30円というお値段でしたが、ザグレブのこれは150円ほどでした。日本の同じようなケーキのサイズを考えたらかなり大きいのに、平らげるのに5分とかかりませんでした。それどころか、私は再びカウンターに並んでいました。そのお店から出る人が手にして美味しそうに食べていた真っ黒いアイスクリームがどうしても気になっていたのです。ああ、食べてみたい…。
それは「ダークチョコレート」というフレーバーでした。カカオのビターなパワーが全開、といった、プレミアム感たっぷりのアイスクリームを手にザグレブの街をどんどん歩きます。ケーブルカーもあるけど、乗らずに自力で丘をぐんぐんのぼり、恋人たちのそぞろ歩きにぴったりな、街を見下ろせるロマンティックな散歩道を歩き…。
その時です。ふいに右足に違和感が走りました。「なに?」…瞬く間にその違和感は激痛に変わり、右足は一センチも動かせないほど固まってしまいました。痙攣。こむら返りです。
成田からパリへの長時間のフライト、さらに、パリで5時間もじっと座って過ごしたのがたたったのでしょう。考えてみたら、今回の成田からの移動時間は私がこれまでに経験したなかでは人生最長でした。それを、ホテルに着いて一瞬も座ることもなくすぐに歩き回り、傾斜のきつい丘を登り…。かわいそうに、足がびっくりしてしまったのです。
「わあ、ごめんね。お願い、なんとか頑張って!」自分のふくらはぎに声をかけながら、ゆっくりマッサージしたり少しずつ足首を動かしたりして、しばしご機嫌を伺いました。幸い、数分でなんとか動くようにはなりましたが、しばらく歩くと今度は反対の足…左足に同じ症状が出て、またも立ち止まらないといけなくなってしまいました。
翌日には朝早くにホテルを出て、世界遺産に登録されているプリトヴィツェ国立公園を3~4時間、トレッキングする予定になっていました。大丈夫なのかな…不安がよぎりました。
レストランで頂いたのは、サルマというロールキャベツのようなお料理。日本のものと違って、酢漬けのキャベツを使うところがミソ。もともとルーマニアが発祥とも言われるロールキャベツですが、私にとってはこれもまた、懐かしいハンガリーの味なのです。よく煮込まれた酢漬けキャベツのほどよい酸味とタネの仔牛の挽き肉の相性がなんとも絶妙な美味しさ!あとはホテルに帰って、早めに休むことにしました。ベッドに横たわってふと「足、大丈夫かな?」とつぶやくと、次の瞬間「なんとかなる!なんとかしよう!」という声が聞こえた気がしました。
そもそも、旅にも人生にも、万全なんてないのです。日々を楽しめるか否かは、“何かが起こったとしてもなんとかするぞ!”…という心持ちでいられるかどうかにかかっているのではないでしょうか?さもないと、常に大変な心配や気がかりをかかえて生きていくことになってしまいます。
翌朝、雨音で4時に目が覚めました。窓を開けたままで、寝入ってしまったようでした。雨…でも、プリトヴィツェに着くまでには上がるような気がして、なりませんでした。
(*フルヴァツカをいく!④に続く)