第583回 マナーとマナ
残暑の中、新学期が始まりました。イジメや学級崩壊、などという言葉のなかった時代に育った私は、この時代に子育てをしているご両親や教師の方々、そしてなにより渦中の生徒さんの大変な苦悩をなかなか実感できずにいます。
というのも、私のところにレッスンに来てくれる生徒さんは、みんな実に素晴らしいのです。玄関できちんと靴を直して上がるのはもちろん、前のおちびちゃんが少々元気よく脱いだままになっている靴をさりげなくまっすぐに直してあげたり、夏の暑いときにサンダルで来た生徒さんのなかには大人のように靴下を持参し、玄関先でさっと履いてレッスン室に入る小学生も、います。
生徒さんが入れ替わるときに、ちゃんとドアを開けて次の女の子をいれてあげる男の子。お母さまのお気遣いで、お月謝袋のなかのお札は、申し合わせたように皆さん新札だったり…。生徒さんが時おり話してくれる学校での出来事を聞くにつけ、その生活ぶりは楽しく生き生きとした様子が伝わってくるばかりで、暗く、痛ましい報道はいったいどこの国のおはなし?、と思ってしまうほどです。
「よろしくお願いします」と、お月謝袋を差し出すとき、小学生の生徒さんも私が正位にみえるように自分からは上下を反対にして、両手で、渡します。そんな姿をみると、彼らがご両親から心から大切にされ、愛されて、丁寧に教えを受けているのが伺えて、とても豊かな気持ちになります。
それらひとつひとつは大人としては当たりまえのことですが、海外では時として、驚くべき礼儀正さに受け止められます。「君の、ポライト(礼儀正しい)で美しいしぐさのひとつひとつ…。そういったものは君の国の文化であり、美学なんだよ。そのセンスを、西洋のものを学ぶときに押し隠したり、どこかに忘れてきてしまうことのないようにしなさい。それは紛れもない君のアイデンティティーだし、それを誇りに表現することこそ、演奏に大切なものなんだ」イギリスでお習いしていたエステルハージ先生が、鋭い眼光のなかにえもいえぬ温かな表情をたたえておっしゃったことを、思い出しました。
英国の洗練された身のこなしや気の利いた会話術、マナーに触れ、自分の至らなさにコンプレックスを抱きそうになっていたときに、心から励まされる言葉でした。生徒が今、一番必要としている助言を的確に与えられることにまさる指導はないな、と、思い知った瞬間でした。指導や発言にもマナーがあるとしたら、先生のこのコメントはすばらしいマナーを示してくださったものでした。
夏に行なわれたロンドンでのオリンピックでも、スタジアムを去るときに自分たちの座席付近のゴミを拾って帰る日本人の姿に海外の人々が驚嘆したと聞きましたが、確かに私たちには他に誇るべき高いマナーの精神を持っていように思います(まぁ、バブルの頃には海外での日本人観光客のマナーの悪さがあちらこちらで指摘され、耳が痛かったこともありましたが…)。
若い頃は『マナー』という言葉は、なんだか窮屈なイメージであまり好きではありませんでした。「ああしてはならぬ、こうすべきである」といった作法であり、様式論なのだと思っていたのです。でも、それだけではありませんでした。それは、社会のなかで人間が気持ちよく生活していくために、人への思いやりの理念から発生した“行動の知恵”だったのです。
運転マナー、テーブルマナー、ステージマナー…。それぞれある程度の決まりはありますが、従うか否かは個人の自己責任。マナーは自分のため、というよりも、他の人のために、また、その“場”の雰囲気を気持ちのよいものにするために、存在するものです。無意識に好ましくないマナー違反をしてしまわないよう、気をつけなくては、と、生徒さんの様子をみて気持ちを引き締めたりしています。
ところで、似ているけどちょっと違うのが、ハワイの『マナ』。こちらは超自然的なちからのことで、神さまがもっている特別なパワーなのだそうです。マナを身につけている酋長は強靭な肉体と精神力を持ち、リーダーシップを発揮して、場合によっては人々の疾患を治してしまうこともあるといいます。
そんな超能力を身につけるにはさぞかし大変な修行を積まなければならないことでしょう。あるいは、“神さまの直系”とかじゃないと、そもそも無理なことかもしれません。
マナがほしい!…とは望みませんが、せめて周囲の人に不快を与えることのないよう、大人として子どもたちに恥ずかしいことのないよう、また、日本人としての誇りを持ってふるまえるよう、よいマナーを身につけていきたいと思っています。
それにしても、連日のいじめや自殺報道には心が痛みます。「助けて!」と、周囲の人にSOSを出せるなら、まだいいのです。本当に助けを必要としている人は、その助けを人に求められなかったりするものです。
自分はともかく、音楽には『マナ』のようなものがあると信じています。どうしたらそれを、必要としている人にもっと届けることができるだろうか…。この頃、そんなことをずっと考えています。