第564回 ハンディキャップを“ハンディラック”に

「ピアノを弾くのに、手の形や大きさによる向き不向きはあるのですか?」と、よく聞かれます。残念ながら、答えはどちらかといわれたら「イエス」です。手の大きな人にはラクにできることでも、小さい人がそれをするのには大変な工夫と努力が発生することは、確かにあります。でも、向き不向き、有利不利ということはあっても、手の小さい人には無理である、とか、手が大きくさえあればよい、というものではありません。肉体的な条件は、単なる“素質”なのですから。

それを話し出したらきりがない、とご批判を頂くかもしれませんが、手が小さいからピアニストになれない、とか、目が見えないからピアニストにはなれない、とか、一概にはいえないものです。耳が聞こえなくなってもなお、誰にも書けないような名曲を産みつづけたベートーヴェンという作曲家もいます。ハンディキャップは、あくまでもハンディ。それをものともしないで乗り越える熱意があれば、むしろ有利な素質を持っている人よりも、素晴らしいものを得ることもできます。

むしろ、ハンディがあるからこそ得られる貴重なものも、少なくないのではないでしょうか。例えば、私は決して手が大きい方ではありませんでしたし、縫い針も包丁もまともに持てない不器用な子供でした。でも、手の小ささをカバーする奏法や指使いを、いつも自分なりに工夫していました。一曲を仕上げるのに、周りの、いわゆる「ピアノが上手」という評判を得ているお友達よりも時間がかかったりしましたが、今思うとそれは、自分に適した練習方法や指使いを追及すべく、様々なトライアルを重ねていたがためのことだったのかもしれません。

例えば、楽譜に書いてある指使いではどうしても弾き辛いときには、できる限りたくさんの指使いの組み合わせを試してみたり、右で弾くことになっているけどどうしても指がとどかない音を、代わりに左で弾くことはできないものだろうかとあれこれ試してみたり。そういう経験から、ある程度のレベルの作品を弾くようになった頃には、譜読みのとき、瞬時に自分にとってのベストな指、あるいは手の使い方が判断できるようになっていました。手が小さく、不器用だったからこそ得られたご利益なのだと思っています。

おかげで、生徒さんにもそれぞれの方にとってもっとも弾きやすい指使いを提案できるようにもなりました。こうなると、かつてのハンディはもはやラック(幸運)です。感謝しなければいけないことです。きっと私のことだから、仮に何かのアクシデントで指を一本失ってしまったとしても、他の9本の指でどうにかこうにか弾ける作品や弾けるような指使いを見出して、やはりピアノを弾き続けているような気がします。

以前、バリ島で現地の方に教えていただいた、彼らの“お供え”の理念についての話を思い出しました。「棚や、塀の上に置くお供えは良い霊に対しての感謝。地面に置くお供えは、悪霊に対しての畏敬の気持ちを表すんだよ。悪い霊も大切に扱い、敬う気持ちを持っていれば、その悪はやがて善に転じる。反対に、良い霊に対して感謝する気持ちを忘れてしまっては、それもまた悪に転じかねない、という考え方なんだ。つまり、大切じゃないものはなにもない。」

よい素質を持っていても、それを磨くことを怠り、それに甘んじていては落とし穴に落ちてしまいかねない。逆に、一見好ましくないハンディも、それを受け入れ、努力を積み重ね続けていれば、やがてそれはより素晴らしい素質へと昇華していくことでしょう。それを私は、勝手に“ハンディーラック”と呼んでいます。

生徒さんの発表会が近づいてきました。前日に80歳のお誕生日を迎えられるMさんが、初舞台を踏まれます。「まさかこの歳になって、こんな経験をすることになるなんて、思ってもいませんでした。この歳になると、上達するということも、なかなか難しくなってまいりますよね」そうおっしゃるMさんは、実はこの半月ほどでめきめきと実にお上手になられて、レッスンのたびに私をびっくりさせているのです。

「まぁ、Mさん、すごくお上手になっていますよ。ご自身では毎日のことで実感しにくいかもしれませんが、一週間ぶりに聞かせていただく私がそう感じるんですから間違いありません。この件に関しては、ご自身よりわたしを信用していただけたら嬉しいのですけど」Mさんは私のコメントにほんのり頬を高揚させながら、当日の服装について、とか、リハーサルの段取りについてなどについてご質問されました。発表会を楽しみにしてくださっている様子が伺えて、とても幸せな気持ちになりました。

自分自身と深く向き合い、ハンディや苦手なものを乗り越えて真の自信を育くみ、生き生きと輝きながら日々を送るために、音楽は優れたツールだと思いますし、なかでも楽聖たちがもっともたくさんの名曲を残してくれたピアノは、大きな喜びを与え続けてくれる最高の楽器だと信じています。

人間誰しも、どこかに何かのハンディがあるのは当たり前。ハンディを嫌わず、むしろ自分をさらに高めるために最大限に利用してしまいましょう!ぜひ、ハンディキャップをハンディラックに!グットラック!!


2012年04月20日

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