第563回 晴れ女、春女(はるおんな)をめざすの巻
4月1日、8日と、二週にわたって福島県に行きました。1日は会津若松、8日は郡山。もう10年以上関わらせていただいている、福島県ジュニアピアノコンクールの、課題曲レクチャーコンサートのお仕事でした。
昨年はこのコンクールも震災の影響で中止になってしまいましたので、今年また再開されることになったのは本当に嬉しいことです。郡山から在来線に乗り換えるとまもなく猪苗代湖。磐梯山が近づいてきます。雪をたたえた堂々たるその姿や、まだまだ雪に覆われたままの田畑を眺めながら、この白く美しいものが放射能で汚染されたものをすべて分解し、すっかり浄化してくれないものかしら、と、心から願わずにいられませんでした。
郡山から一時間強で、会津若松に到着です。まだまだ以前のように観光客が戻ってはきていないとはいえ、震災の影響も比較的少なく、被災された方もたくさん移住していらして人口は増えているとのこと。その日も、生徒さんをコンクールに参加させる先生方20名ほどが集まって、二時間半にわたって私の演奏やレクチャーに熱心に耳を傾けてくださいました。翌日、その様子は地元の福島民報紙に写真入りの記事で紹介され、コンクールへの関心の強さを垣間見ることができました。
街の再生だけでなく、人の心の復興も大事、と、常日頃から考えていましたが、音楽に対してもコンクールに対しても、皆さんが震災以前と変わらない熱意を抱いて取り組んでくださっているのを感じ、「大丈夫、きっと皆で少しずつ乗り越えていける」という思いを新たにして帰途についたのでした。ところが…。
翌週、郡山駅に降り立ってみると、なんともいえない違和感を覚えたのです。駅構内は通常のように人でにぎわっていたようでしたが、日曜日だというのに駅前の目抜き通りには歩く人もほとんどなく、シャッターのおりている店舗ばかりが目につくのです。郡山といえば県庁所在地の福島市よりも人口も多く、日曜日の駅周辺ともなれば以前はもっとたくさんの人で溢れていた印象だったのに…。
「放射能の数値は、まだ高いのですか?」車で迎えに来てくださった担当のMさんにたずねると、「はい。まだまだ高いです」とのお返事。子供たちは一人ひとりが計測器を持っていて(持たされていて)、特に数値の高い日には外では遊ばないように、とか、外出時にはなるべくマスクと手袋を…など、注意を払いながら日々を送っているとのことでした。
「部屋の中にはほとんどなくても、外では、砂利とか草むらなんかを計るとすごい値がでるんですよ。でも、小さい子はついつい、触ってしまいますよね。だから、結局外では遊ばせられなくなってしまうんです」今年2月に仙台から郡山に赴任していらしたMさんも、家族は仙台に残したままです。「やはり、人口も減っているんでしょうか?」「そう思います。発表ではあまりそうはなっていませんが、実数値を把握できないんですよね。毎日のように動いていますし、住民票はそのままでも、実際にはお父さんだけ残って他の家族は他の土地に移住している、というケースも多いですし…」
ここの人々にとっては一年以上にもわたって“日常”になっているこの実体を知らなかった自分が、ひどく情けなくなってきました。「しかも、これをあと一年我慢すれば大丈夫、とか、一切わからないんですものね。先が見えてこないって、辛いことですね」「そうですね。それに、子供たちへの精神的な影響が心配です。放射能に色でもついていればいいんですけどね」感受性のもっとも豊かな少年・少女時代を、体を蝕む目に見えない汚染の恐怖に怯えながら過ごさなければならないなんて、なんと残酷なことでしょう。私は、暗澹たる気持ちに襲われました。
でも…ひと時でも、それを忘れてのびのびと音の世界を楽しんでもらえたら…!それを願ってベストを尽くすしかないし、それが今の私ができる精一杯のことなのだ、と、頭を切り替えました。
開演時間になると、会場にはコンクールに参加するちびっ子たちやご家族、先生方がたくさん集まってくださいました。思ったよりも子どもたちの姿が多かったので、レクチャーコンサートというタイトルでしたが、堅苦しくならないよう、時にはその場で一緒にワルツのステップを踏んでいただいたり、できるだけ笑顔で子どもたちに語りかけるようにしながら、わかりやすい解説を心がけました。ふと、思いついてこんな提案をしました。
「すべての課題曲についてこうしてお話したり、演奏を聴いていただきたい気持ちでいっぱいなのですが、全曲を弾くのは時間的に不可能です。そこで、ブルグミュラーについては休憩時間にリクエストを受けつけますから、“この曲をお願いします!”っていう曲をじゃんじゃん言いにきてください。後半で、リクエストのあった曲について触れていこうと思うのですが、どうかな?」うんうん、と、何人もの方がにこやかに頷いてくださいました。
さて、休憩時間。あっという間に私は先生方や子どもたちに囲まれてしまいました。「○○、お願いします!」「はい了解。ちょっと待って…」メモを取るのも追いつかないほど矢継ぎ早にリクエストする子どもたちは、オトナも顔負けなほど積極的で、その瞳は意欲に輝いていました。結局、43曲あるうちの30曲以上についてリクエストを頂いてしまいました。
「頂いたリクエスト全部、できるかな?」不安はよぎりましたが、やるといった以上やるしかない!果たして私は予定していた休憩時間も短めに切り上げ、次から次へ、バッタバッタと弾いて話して笑いもとって…。刻一刻と細胞が減っている脳みそをフル回転させて、なんとか無事にやり遂げたのでした。
そんな怒涛の二時間が終わると、皆さんからのあたたかい拍手が…。元気を頂いたことを実感しました。その後、「サイン下さい!」と、メモや楽譜を差し出す先生方や子どもたちと、「如何でしたか?」「参考にしていただけそうですか?」「楽しくピアノをお稽古してね」と、しばし言葉を交わし合いました。皆さんにとって、音楽が少しでも元気や救いの源になりますように…と願いながら。
その日も、私が到着する前までは雪が舞っていた郡山。自他共に認める晴れ女の私ですが、もしも神さまに願いをかなえてもらえるなら、晴天だけでなく、東北に春をもたらすパワーが欲しい。…帰りの新幹線の中で、私はそんなことを考えていました。