第560回 花のいのち
かつてはよく観ていたハリウッド映画ですが、この頃、とんとみなくなりました。年に一度、観るかみないか…ほとんど、私がラーメンを食べるくらいの頻度です。
もちろん、印象に残っている作品は、いくつかあります。今から十数年前に公開されたトム・ハンクスとメグ・ライアンの出演した『ユー・ガット・メール(You've got mail)』も、そのひとつ。
内容はインターネットを通じて知り合った見知らぬ男女のコメディータッチの軽いラブ・ストーリーで、筋書きは特別なものではありませんでしたが、なかにとても好きなシーンがあるのです。
それは、恋人が、風邪を引いてしまったヒロインの家に、彼女の好きなデイジーの花を持って訪れるシーン。思いがけない彼の訪問に、彼女は慌ててそのへんにあったトレンチコートを羽織って応対するのですが、その陳腐な格好が逆にとてもキュートなのです。彼女は動揺しながらも、彼の持ってきてくれたデイジーの鉢を見て「まあ、デイジー!大好きな花!」と目を輝かせ、彼とデイジーを部屋に迎え入れます。
私のお気に入りは、そのあと。彼女が部屋の中で場所を移動するときに、いちいちデイジーを一緒に持ってきて、視界のなかに入る場所にそれを置く、というところです。「そのシーンの、どこがそんなにいいの?」と、つっ込まれそうですが、それは彼女の気持ちがとてもよくわかるから。わたしも好きな花はできるだけ自分の見えるところにおいて、花の命の行く末をしっかり見届けたい方なのです。
花を長持ちさせるためにはできるだけ寒い場所においてあげるのがよいのはわかっていますが、せっかくの可愛らしいお花を誰もいない部屋に置きっぱなしにして、見てあげないのはかわいそう…。特に、自分で買ったものではなくコンサートなどで頂いたものは、なるべくそばにおいてその姿を愛でていたいのです。
それでも、前回のリサイタルで頂いたいくつかの花束やアレンジのいくつかは、一ヶ月ほどもたせることができました。シンビジュームの鉢植え、プランターに地植えしなおしたミニバラたちや、グリーンのアレンジメントなどはまだ元気ですが、お花束の中では一枝のアルストルメリアと、レースフラワーを残すのみとなりました。それを今朝、大切に小さな花器に活け、生徒さんがたくさんいらっしゃる本日金曜日から明日の土曜日にかけて、玄関で皆さんのお迎えをする、という、最後の役割を果たしてもらうことにしました。
ちょうど先ほど、まさにそのアルストルメリアの花束をくださった生徒さん(Tさん)がレッスンにいらっしゃいました。お帰りになるときに「そうそう、このアルストルメリア、2月14日のリサイタルでTさんがくださったすばらしいお花束の最後の一枝なんですよ」と、お話したら「え?」と、小さな声をだされ、「こんなに長く大切にしてくださって…!」と、目に涙を浮かべて感激してくださいました。
造花は好きではありません。美しいと思えないのです。腐ったり朽ちたりするのを見るのはかわいそう、と、部屋には造花を飾り、切り花を好まない方もいらっしゃいますが、私は命あるものだからこそ、しっかりその“生きざま”を見届けてあげたいと思うのです。
水を替えたり、水切りをしたり、少しでもきれいに見えるように花器をかえて活けなおしたり…お世話しながらちょっと声をかけたりしながら、花たちから豊かなひとときや、命の実感をもらっているような気持ちになります。花の命は短い、などといわれますが、きちんと全うされる生命に対して、人間が自分の尺度で短いの長いのととやかくいうことも、ナンセンスな気がします。
それが短くても長くても生命は尊く、限りがあることにはちがいありません。花たちがそれぞれに命を謳歌するように、愉しみながらも真剣に、存分に、毎日を過ごしたいものです。
厳しい夏も、秋も、冬のあいだも、虎視眈々と開花の準備を積み重ねてきた桜の花がヒロインになる季節も、もうすぐそこです。