第557回 春への祈り
本日2月24日は、ぽかぽかと春の気配いっぱいの陽気にめぐまれた一日でした。せっかくのお天気だったのに、午前中から断続的に9人の生徒さんのレッスンが入っていて、夜まで一歩も外出できなかったのは残念でしたが。
東北地方の人々が、重い雪に深く閉ざされる長い厳しい冬を健気に乗り切ることが出来るのは、その向うに春がやってくることがわかっているからです。それほど寒くも厳しくもない冬を過ごしている関東に住む私たちですら、一雨ごとに少しずつ春が近づいているのが感じられると、なんだか希望がわいてくるものです。
この数ヶ月の間、目の前の仕事やリサイタルの準備に追われ、あっという間に過ぎてしまいましたが、気がつけば東日本大震災がおこった3月11日まで、あと二週間ほどでまる一年。
ふるさと宮城県の友人と会うと、東日本大震災の話題がでないことはまずありません。現在の被災地のようすについてや、地域によって広がりが増している復興格差、仕分けや補助金、保証金の問題。そこへ来て、年度末にともなう復興予算切り上げやら次年度に対する不安。放射能に対する恐怖以上に重くのしかかってくる目の前の現実…。
苛立ちやら不安、疑惑。…本来、人間にとって好ましくない感情に追い込まれてしまうストレスは、外部のものには想像できない苦しみがあると思います。そして、約一年もの間それらと向き合い、人知れず戦い続けた彼らにとって一番つらいのは、その苦しみに一向に終わりが見えないことなのではないでしょうか。
ふと、「もうはたらくな」というタイトルの、宮沢賢治の『春の修羅』第三集のなかの詩を、思い出しました。
もうはたらくな
レーキ(*金属製農具)を投げろ
この半月の曇天と
今朝のはげしい雷雨のために
おれが肥料を設計し
責任あるみんなの稲が
次から次へと倒れたのだ
稲が次々倒れたのだ
働くことの卑怯なときが
工場にばかりあるのではない
ことにむちゃくちゃにはたらいて
不安をまぎらかさうとする、
卑らしいことだ
・・・・けれどもああまたあたらしく
西には黒い死の群像が湧きあがる
春にはそれは、
恋愛自身とさへも云ひ
考えられていたではないか・・・・
さあ一ぺん帰って
測候所へ電話をかけ
すっかりぬれる支度をし
頭を堅く縛って出て
青ざめてこはばったたくさんの顔に
一人ずつぶっつかって
火のついたやうにはげまして行け
どんな手段を用いても
弁償すると答へてあるけ
(新潮文庫『宮沢賢治詩集』より)
あらたなる春が、穏やかな、平和なものをもたらしますように…。そして、復興へのさらなる確かな一歩が始まることを、願わずにはいわれません。