第555回 三桁の数字について、あれこれ
編集画面をひらいたら…あら?今回は当エッセイの“555”回目なんですね!“ゴー・ゴー・ゴー”!これはリサイタル前に、なにやら縁起がよさそうです。
3桁のぞろ目というのは、なにやら楽しい気分になるものです。ただ、同じ数字が並んでいるだけなのに、なぜか幸運の予感のようなものがあります。(ちなみに、私は誕生日が11月1日なので、111のぞろ目になります。)
ぞろ目じゃないけど三桁で自分のしるしにしているのは“375”。ミ(3)ナ(7)コ(5)です。口紅なんかに375番を見つけると、なんとなく嬉しくなって買ってしまったり、IDの番号に好んで組み入れたりする番号です。
もうひとつ、つい使いたくなる三桁があります。高校受験のときの受験番号です。忘れもしない、“195”。語呂合わせが“行く(19)、ゴー(5)!”だったので、すごく気をよくしたのを覚えています。
“555”につられてなんとなく数字の話をしてしまいましたが、元来数字は苦手で、簡単な計算でもたもたする方です。皆で食事をするときなどは、だいたいだれか頭のキレる方に計算をお任せしてしまいます。家計簿(おこづかい帳)のようなものを付けてみたこともありましたが、一日の最後に、まったく得意ではない、しても幸福な気分にならない計算をしなければならないこと、しかも、しばしば計算が合わないために寝るときまで悶々と悩む羽目になることに耐えられず、1ヶ月もしないうちに挫折しました。
作曲家の中には数字が好きな人もいます。なかでも、一番有名なのはあの、音楽の父ヨハン・セバスティアン・バッハではないでしょうか。彼は、自分の名前のアルファベットBACHを、A=1、B=2、C=3…のように数字に置き換えたところ、「2+1+3+8=14」になるというので、わたしの“375”ではありませんが、14という数字を自分の“おしるし”にしていたようです。例えば、肖像画を描かせるときに、わざわざ画家にボタンを14個描くように指示したり、14の音でテーマを作ってそれを暗に自らのキャラクターを投影?させたり。
バッハに限らず、音楽室に肖像画が掲げられている楽聖たちは、そのクラシカルなスタイル(特に、髪型=かつら!)や色褪せて古びた佇まいから、聖人君子か別世界の超人のような印象を受けてしまいがちですが、実は茶目っ気たっぷりの好人物だったり、キレイな女の子が大好きだったり、と、突出した音楽の才能以外の部分ではちゃんとフツウの人間だったりするのです。
数字のお話が、それてしまいました。さて。「音楽家にとって、どうしても切り離せない数字をひとつ挙げなさい」、と言われたら…?多くの人が“440”と答えることでしょう。440Hz(ヘルツ)。時報の一点イ音…“ラ(A)”の音の高さです。440がそれと定義されたのは、1939年5月にロンドンで開催された標準高度の国際会議でのことだったそうですが、現在はそのラの音を、それよりも高い442~444くらいに設定してチューニングをするのが慣例になっているようです。私も、自宅のピアノは442に調整していただいています。他の楽器の方も442とか、443に調整している方がほとんどなのて、440にしておくとあわせにくくなる場合があるのです。コンサートの折りにも主催者や調律の方から、よく「442でよろしいですか?」と聞かれます。
ちなみに、私が桐朋学園大学時代にお世話になった寮の部屋番号は、404。今、住んでいるマンションの部屋番号は104。4という数字にも、なんとなく縁を感じます。
さて、来る2月8日と14日のリサイタルでも、私は442に調律したピアノを弾く予定です。440と442の違いは、比べなければわからないほどのものかもしれませんが、そういった小さな一つ一つも、会場の響きに影響を及ぼしたりするのです。
当日の表舞台に立つのは私ひとりですが、それも、少しでもよい響きとコンディションで弾けるように、と配慮して楽器を調整してくださる調律師の方の存在は、とても大きいものがあります。信頼できる、気のおけない方とご一緒できるときと、初めての方との場合とでは、気持ちもずいぶんちがいます。
今回のリサイタルでは、どちらも何年(十何年?)も以前からのお付き合いのある、調律師の方々にお願いできることになりました。きっと、ピアノのコンディションをできるだけよい状態に高めてくださることと信じています。あとは、私のコンディションだけ!風邪なんかひいていられません。さーて、今日は何を喰らおうかな~!