第552回 あこがれの両想い
ひとりでも海外を旅したりしますよ、という話をすると、必ず「言葉はどうしているの?」とたずねられます。そんなときには、「最初はフランスならフランス語、ドイツならドイツ語で“話しかけ”るようにしているけど、あとは成り行きです」と答えています。すると「外国語ができるからいいですね。自分はとてもとても…」というようなコメントが続くことがほとんどです。
いえいえ、とんでもない!いまさら言うまでもないのですが、言語が堪能なわけではありません。でも、論文を書いたり議論を戦わせるのでなければ、そこまで精緻な語学能力がなくても楽しめるのが、旅。カタコトしか話せなくてもなんとかなるものです。
「中途半端にその国の言葉を話せる人よりも、かえってまったく話せない人が日本語で話した方が相手に通じる」と、聞いたことがあります。単語や文法に頼ってしどろもどろになり、表情が堅くなるよりも、なんとか意思を伝えなくては!という意気込みや気迫をもってすれば、たとえどこの国の言葉であろうともニュアンスやゼスチャーで相手に通じるものだ、というのです。一理あるな、と思います。
ところで、ヨーロッパの国々には、様々な国からいろいろな人が集まっているので、たまたまその場にいる人たちの国籍がみんな違う、という状況になることも珍しくありません。すると数人で話をするときやリハーサルのときなど、「え~っと…今日は何語でいこうか?」という話になるわけです。
その時はスペイン人、ドイツ人、そして私というメンバーでした。彼らはスペイン語とドイツ語が共通でしたが、私がスペイン語はよくわからないので出来れば英語で、と希望を出したところ、スペイン人が「僕は英語があまり得意じゃないからな~。でもいいや、45個ほど単語は知っているから、それを組み合わせてなんとか試してみるよ!」
という、真面目なのかふざけているのかわからない返事が帰ってきました。
ところが。いざ話し合いが始まると、そのスペイン人がよくしゃべるのなんの!…確かにボキャブラリーは多いように聞こえませんし、発音も怪しい感じではありましたが、それでものべつまくなしにまぁ語ること語ること!どうやら、ヨーロッパでは大体において、一番たくさん話す人がその場を制するようなのです。主導権をにぎり、独壇場を得るためには、とにかくしゃべる。周囲はというと、こちらも「あいつがしゃべっているから聞き役に徹してあげよう」なんて発想はまるでなく、真っ向から意見を戦わせるのです。慣れないうちは圧倒されて、まるでテニスの試合を観戦しているように、目線を話している人の顔を行ったりきたり泳がせるばかりでした。
でも、それはそれで失礼だったのです。それに、よい聞き手の定義も、あちらは違うようなのです。つまり、相手の話していることをきちんと聞きながら、それに対する意見を同じように述べることが、よい受け方。ただ聞いているばかりで“参戦”しないのは、「あなたの話にはあまり興味がないわ」「この場の雰囲気を、わたしはちっとも楽しめていないの」という意思表明になってしまうというのです。彼らにとって議論を戦わせるというのは、何も喧嘩を吹きかけるのではなく、逆に「あなたの提供してくれた話題に、わたしはこんなに興味を惹かれて、楽しんでいるのよ」ということを意味するのです。
自覚はしていないのですがちょっとだけそういう体質になっている部分があるようで、思ったことはすぐに口に出してしまいます。実家に帰ってもつっ込みたいところには容赦なく「どうして?わたしは違うと思うけど。だって…」とやりはじめては、よく父に「うるさい!美奈子はだまっていなさい」とたしなめられています。
はいはい。うるさいのはわかっています。でも、わかっちゃいるけどやめられない…。だって、ヨーロッパの文化や価値観と切り離せない芸術の世界に、日々触れているのですもの。音楽の世界では音やフレーズ、和声や調性感が言葉の代わりをつとめますが、練習は基本的に、楽譜と向き合っての「わたしはこう思う!」「あなたはどう思うの?」というセッションの果てしないくり返しです。
ですから、いい練習ができた後は、身体だけでなく頭にも軽い疲労を感じます。いい練習ができなかったときも、それはそれでまさに頭に血が昇ってなかなかリラックスできなくなったりと、まぁ結局は翻弄されっぱなしです。
それでも、仕方ありません。これこそ、惚れた弱みっていうものです。ピアノが大好きなので、結果に振り回されようが、思うように弾けなかろうが、もう仕方ない。恋人(?)の気まぐれに振り回されつつもその魅力の虜になって、かれこれ40年以上もの月日がたっているので、いいかげんこの“万年片思い”な状態に小慣れてはきました。
でもなぁ~。できるなら、やっぱりなりたや、両想い。今度のバレンタインデーのリサイタルでは、どうか“彼”と少しでも親密に想いを伝え合えますように!