第548回 子どものような感性
約一ヶ月半にわたってお話してきた「『ソナタに恋して』にいたるまで」のシリーズが終わって、気づいてみればもう師走も中旬にさしかかろうとしています。ああどうしよう、年賀状も大掃除も、あれもこれもまだ手付かずのままです。
いろんなことが“後回し”になってしまうのは今に始まったことではないのですが、中でも周囲から最も厳しいご指摘とご批判を頂くのが「健康」に関することです。健康診断とかがん検診、といったことが特に苦手なのです。
できることならずっと受けずにいたい…。自分の体の外ならまだしも、内側の、自覚することも見ることも出来ない部分の不具合を、あえて知りたいとは思わないのです。知ってしまうのが恐いのです。小さい頃に異常な“怖がり”だったことと関係があるかもしれません。
「そんなことないよ!知らずに不摂生を続けるほうがずっと恐いでしょう?わかって気をつけるにこしたことはないじゃない?」…確かに正論ですが、大人の悪意なき正論は、時として子どもを追いつめるものです(あれ?わたしってすでに、大人なんだっけ?)。こうなると、無理と頭では理解していてもだだをこねる子どもの領域です。つまり、「ほしいものはほしい!いやなものはいや!」嗚呼、かくのごとき時代は移ろえど、大人は正論を主張し、子どもは欲求を主張するのです…。ある部分で、自分は子どものままなのかもしれないな、と思うことがしばしばあります。
だから、子どもの子どもらしい感性に触れたり、大人なのに子どもの感性を失っていない人の魂に触れると、心の底から嬉しさがこみ上げてくるのです。
最近、ひょんなことから知り、惚れこんでいる気鋭のアーティスト鈴木康弘さんも、そんな素晴らしく刺激的で純粋な感性の持ち主です。彼の著書『まばたきとはばたき』(青幻舎)は、書籍なのにページをめくるたび彼のアートを体験できるような、素晴らしい構成になっていて、最近の一番のお気に入りです。
例えば、“ファスナーの船”。「飛行機の窓から東京湾を見下ろしたとき、海を進む船と航路がファスナーのように見えました」それをきっかけに彼はラジコン式のファスナーの船を作り、公園の池の水面を“開く”ことを思いつきます。そしてその数年後には、スポンサーを得て実際に人の乗れる重さ5,3トンの“ファスナー”の船を作り、2010年の瀬戸内国際芸術祭を舞台に、実際の海を“開く”ことになります。
「限られた空間を有効に活用するために“お見合い席”にしました。すると向かい合って座ったと偶然足が交互になり、ファスナーの噛み合う金具のように見えて、思わず笑いました。」その船が瀬戸内の海を“開く”様子が、ヘリからの航空写真で紹介されています。
そうかと思うと、銀閣は銀色ではなく茶色だった、と意表をつかれたことを思いだすきっかけに、と、彼は美しい銀の銀閣をつくってみます。ただし、その中身はチョコレート!「チョコレートといえば銀紙で包むもの。そして気が付けば銀閣寺もチョコレート色でした」
そのほかにも、コーンスープが三日月のような満ち欠けをみせるお皿や、水のしずくが落ちるたびに年輪のような波紋をみせる切り株のバケツ…。まるで秘密の公園のようなこの本には、45種類もの彼オリジナルの“遊具”が、ふんだんなスケッチや写真とともに紹介されていて、心おどるような発見に溢れています。
その発想のなんと素直で明快なこと…!なにより、彼の作品の完成度の高さには、心を奪われてしまいます。そこに息づいているのは単なる数奇さでなく、よく見つめ、心を開いて感じ、考えてこそ生まれてくる疑問や感動から発信されてる、子どものように素直な感性です。だから、ちっともてらっていないのにドキッとするような新鮮な意外性に満ちていて、ありふれたものに思わず愛おしさを感じたくなる…。斬新さや、前衛感を前面に出しながらも10年もしないうちに古びてしまうような、巷に蔓延しているよくわからないモダンアートとは、明らかなる一線を隔しています。
心を開放し、素直に物を見つめ、考えたり感じたりすることを魂いっぱいに楽しむ。そんな、子どものような感性を抱いている本物のアーティストの表現に触れ、その作品に遊ぶことに代わる精神の贅沢があるでしょうか。
…あ。自分がそんな、子どものような感性に憧れ、自称「それを多少もっている大人」だからといって、それが健康診断を回避する正当な理由にはなりませんよね。わかっておりますとも。いえいえ、心の健康診断はばっちり、クリアしているので、それで善しとする、ということで、そこはどうにかご勘弁くださいますように…!