第542回 「ソナタに恋して」にいたるまで 其の一

小学生から中学生にかけて、毎日欠かさず日記を書いていました。出来事を記録するというよりも、思ったことや感じたことを自分で整理するために、まさに“徒然なるままに”書きつけていった、“心の記録”のようなものでした。

当時読んで感銘を受けた『アンネの日記』の影響で、それは誰かにあてた手紙を想定して書かれました。『アンネの日記』では、彼女が日記帳に“キティー”という名前をつけ、“キティー様”という書き出しで綴られていたのです。私の“キティー様”は“フレデリック”でした。恥ずかしいのですが、それは当時私が誰よりも大好きで、尊敬し憧れていた人物…フレデリック・フランソワ・ショパンのファーストネームでした。

かくして、“フレデリックへ”で始まる日記は何年もに渡って続きました。ある時はラブレターのようなものを書いているような気分にもなり、ある時は愚痴をこぼしているようでもあり、またある時には懺悔しているような気持ちにもなり…。思春期の私にとって、フレデリックに語りかける時間は一日の最後にして、最大のトキメキと癒しの得られる貴重なひとときでした。

その中で、何度も自問自答したのが「人は(私は)なんのために生きるのだろう」ということでした。夢をかなえ、自信と誇りをもって生きていくことが許されないのだとしたら、生きる意味なんてあるのだろうか、と。これは、音楽の道を目指したくてもなかなか思うような勉強ができなかったり、周囲の理解が得られなかったりすることへの焦りと不安からでした。確かに、冷静に考えるといくら一生懸命目指してもピアニストになるという夢がかなうとは限りません。しかも、ピアニストを目指すということは、家族にさまざまな負担をかけることになるのは、間違いないことなのです。

それでも、音楽が好き、ピアノが好き、という強い思いは微動だにしません。何をどう考えても、他の人生は想像できなかったのです。

どんなに厳しい状況になってもいいから音楽の勉強をしたい。しかも、きちんとした、ホンモノの勉強がしたい、という思いが先走るばかりでした。フレデリックにそんな思いの丈をぶつけながら、気持ちが落ち着いたり、逆に火がついたり。そこには、思春期らしい、不安定でいてまっすぐな自分がいたのだと思います。

(あまり成長していないからか、今も「音楽が好きで、音楽と心中してもいいと思っている。有名なピアニストになれなくても、いい音楽家を目指し続ける自信がある」という部分は、変わりません。)

果たして、念願の桐朋学園大学に合格することもでき、さらに夢だったハンガリーの名門リスト音楽院への留学も果たすことができ、素晴らしい先生方や周囲の人たちに恵まれながら今まで音楽家として生きることができているのは、本当に奇跡的でありがたいことです。気づけば、ハンガリー留学前にデビューリサイタルを開いてから、来年で25年になろうとしています。音楽人として生きていくことに疑問を持つことなど、これからも、今まで同様自分には起こりえないだろうと信じていました。

ところが、そんな単純明快な私の気持ちがぐらりと揺らぐことが起きました。今年3月11日の東日本大震災です。

母の実家があった東京で産まれたものの、その後は小学校から中学校にかけての8年をのぞいて、ほとんど仙台で育ちました。今も実家は仙台ですし、私以外の家族は全員仙台在住です。

母校の宮城県第二女子高等学校では10年ほど、非常勤講師もさせていただきましたし、常盤木学園音楽科の講師もしていたことがあります。仙台フィルハーモニー管弦楽団との共演など、演奏の機会も数え切れないほどたくさん得ることができました。宮城県から芸術選奨新人賞も頂き、友好都市のスペインはセヴィリアでコンサートもさせていただきました。自分は、故郷宮城の人たちに、音楽家、演奏家に育てられたと思っています。

東北の各県でのピアノコンクールの審査や、それに関連するいろいろなお仕事も、たくさんさせて頂きました。課題曲のコンサートや講座、特別レッスンなどを通して、人間的な魅力溢れる主催者の方々、熱心な先生方、才能あるめんこい生徒さんにたくさん出会い、東北への愛着は深まるばかりでした。

その仙台が、宮城が、東北が大変なことになったというのに、私は何もなすすべがない。第一、復興に、心は満たされても、お腹は満たされない音楽が、どれだけ役に立つのか。もしも誰かに望まれたとしても、ピアノはそこに楽器がないと奏でることができません。

仙台と東京とで毎年行なっているリサイタル“SYMPOSION”の会場を押さえなくてはならない時期でした。でも、この大変なときに、そんなことを進める気持ちにはとてもなれませんでした。かといって、東京だけでリサイタルを行なう気持ちもおこりません。非力な自分が不甲斐なく思われ、ただ毎日をぼんやりとやり過ごすばかりでした。

(「ソナタに恋して」にいたるまで 其の二、に続く)

2011年10月28日

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