第537回 ツイッターのいいわけをツイートす、の巻
子供のころ、美奈子ちゃんは笑い上戸だね、とよく言われました。よく笑い、笑いだすと止まらなくなる子だったのです。
本来、上戸というのは下戸の反対語で「お酒が好きな人。お酒をたくさん飲める人」という意味。笑い上戸というのもその延長上の「酔うとよく笑うようになる人」という酔った時の習性をいうのですが、そういえば未成年に対してもよく使われている気がします。
確かに、よく笑い、よく泣く子でした。が、子供の頃は皆、大なり小なり感情の起伏の豊かなのではないでしょうか。ちなみに、妹はトランプやゲームで負けたときに、よくさめざめと泣いていましたし、従弟はクマの縫いぐるみを階段の上から放り投げた兄に「クマがかわいそうじゃないか~!」と泣いて抗議(?)していましたっけ。
はたして、大人になったわたしは周囲の予言どおり(?)ホンモノの笑い上戸になったのか?…というのは、周囲が評価することなので置いておくとして…お酒は関係なく、自覚している習性はいくつかあります。この機会に数えてみることにしました。
ひとつ。部屋履き、上履きをすぐにぬいでしまう癖。子供のころから、ずっとです。授業中、机の下でいつの間にか上履きをぬいでしまいました。足の指が履物の中でむずむずする感じがいやだったのです。今、足の爪にトラブルがありますが、実はその兆候だったのかも…?
ふたつ。お箸や鉛筆は必ず右手。携帯電話やハンカチを持つのは必ず左手。メールを打つのも必ず左手です。それから、右の眉を書くときは右手。左の眉を書くときは左手。皆さんは如何ですか?
みっつ。心にひっかかったことを、とにかく書き出してしまう癖。母に怒られ、言い返せなかったときに、悔しい思いの丈を紙に書いて自分の気持をおさめる、という技を身につけて以来、なにかというと書いて気持ちを発散(あるいは整理)するように…。
他にもいろいろありそうですが、このみっつめの習性がこの頃、とてもやっかいなことになっています。今までは紙に書く―――つぶやく―――ことで済ませていたものが、ツイッターというオープンソースでつぶやくようになってしまったのです。
ツイッターを始めた頃は、いったい何をつぶやいたらよいものやら、さっぱりわかりませんでした。第一、つぶやきを公開したらもはやそれはアナウンスメントで、つぶやきではなくなるではないか…などとつべこべ考えて、なかなかつぶやけませんでした。
もちろん、プライベートなことすべてをつぶやくわけではないのは分かっていますが、他の人が案外、日常生活での些細なことや、心に浮かんだちょっと愉快なフレーズを屈託なくつぶやいているのを読んでいくうちに、つぶやき歴ん十年のキャリアを持つ私の「つぶやき欲」が、ふつふつと湧き出してしまったのです。政治家や放送作家さんのつぶやきは、その中の本音や裏話をどこまで受け入れるか、を判断する楽しみを提供してくれたりします。
かくしてわたしも、どうでもいいことをぼそっとつぶやいてみました。紙に書くのとまったく同じではありませんが、気持ちの中にちょっといい感触がありました。そうこうして恐る恐るつぶやくうちに、友人がそのつぶやきに返信してくれるようにもなりました。
フェイスブックといった、似たようにつぶやけるソーシャルネットワークシステムもありますが、こちらは自分の発言や他の人へのコメントが、友人登録しているひとすべてに逐一通知されてしまいます。音楽業界の方もたくさん実名で登録しているので、あまりへんなことはつぶやけません。一応、入ってみたものの、一度もつぶやけずにいます。
その点、ツイッターはつぶやきっぱなしでも大丈夫。チャットやメールのような、特定の人とのやりとりでもないので、気が楽なのです。…かくして、わたしはくだらないツイート(つぶやき)を毎日のようにするようになってしまいました。
なんと、最近の統計では、日本人の一日あたりのツイート数は世界一なのだとか。みんなつぶやきたかったんですね。わたしも典型的日本人だったのですね。
幼い頃からのみっつめの習性が、今になってこんなこっぱずかしい方向に展開するなんて…。もういいオトナなのだから、つぶやき欲もいい加減制御しないといけませんよね。反省。