第536回 はな歌な母
デビュー45周年のベテラン歌手森山良子さんが、テレビの長寿番組『徹子の部屋』に出演されていました。ご存知のように息子さんもすばらしくステキな歌い手でいらっしゃるのですが、VTRに登場した彼曰く「僕がはな歌を歌ってると、横で(母が)すかさず3度5度でハモりはじめるんですよ。もう、どうしたらいいのかと…(笑)。はな歌泥棒ですよ。」
泥棒、という表現と、ド級の歌唱力を持つ母息子がお家でハモっている姿を想像したらなんだかとても微笑ましくて、思わずくすっと笑ってしまいました。
黒柳徹子さん曰く「まぁ、いいわね。うちでははな歌なんて歌おうもんなら、父がもう、うるさいのなんの。大変だったんですよ。『そこ、音程悪い!』『また違う!』って。父はヴァイオリニストだったものだから、特に音程が気になって、悪いともう許せないみたいで。だからうちでははな歌、歌えなかったの」
徹子さんのエピソードには、苦笑してしまいました。なぜなら、身に覚えがあるからです。
母は、よくはな歌を歌う人です。とにかく毎日、朝も夜も、外出しているときも(!)、ほとんど絶え間なく歌っているます。それでも飽きたらず(?)コーラスにも入っているほどの歌好きなのですが、音程やリズムが不正確なのはともかくとして、「曲」自体が曖昧になってしまうのです。しかも、かなりの確率で。
その様子を実況すると…。「あ、楽曲Aを歌いはじめた…と、思ったらおやおや?サビのところから別の楽曲Bに変わっちゃった。このまま楽曲Bに切り替えるのかな。今日はメドレー的な気分なのね。…あれれ?また楽曲Aに戻ってきた。なんだなんだ?…うわ、またサビのところから楽曲Bだ~!ちょっとちょっと、どっちを歌いたいの~?完全にごちゃ混ぜなんですけど!」という具合。
母は涼しい顔しているけど、私はもう、気になって気になって仕方ありません。ピアニストというのは、作曲者の残した楽譜を誠実に、正確に再現することが、体に染み付いているのです。それはもう、バレリーナの方にすっと美しい姿勢が身についているのと同じくらい、自然で無意識、かつ深いレベルでのことなのです。私はとうとうガマンできなくなって「ママ、それ、どっち歌ってるの?Aが途中からBになってるんだけど…」と、聞いてしまいます。
別なパターンも。この場合、ほぼ楽曲Aを全うしているのですが、肝心なところのメロディーラインが決定的に違うのです。当然、母の思いつき的アレンジ(?)よりも、オリジナルの方がずっといい。これもこれで、音楽センスを常に磨き、敏感な音楽的センサーを作動させていることを心がけている音楽家としては、聞き捨てならないことです。で、「ねぇママ、それ、明らかに間違っているんだけど…」と、つい指摘してしまうのです。
いずれの場合も、母の反応は落ち着いたものです。「あら、そう?ほほほっ!でも、どっちでもいいじゃない、はな歌は自由なんだから。いい加減に歌ってもいいのが、はな歌なんだから!」それはそうだけど、なんだかすっきりしません。そこでこの際、はな歌とは何たるかを調べてみることにしました。
広辞苑によると「気分のよいときなどに鼻にかかった小声でうたうこと。またその唄」ふむふむ。鼻にかかった、というのはよくわからないけど、小声、というあたりがポイントでしょうか。でも、どこにも「いい加減に歌うもの」とはかかれていません。“はな歌まじり”、になると「はな歌を歌いながら気軽にするさま。のんきなさま」このあたりで、母の雰囲気に近づいてきました。さらに国語大辞典には「転じて真剣みに欠けているさま」と、付け加えられています。
きたきた。これです。「気軽でのんきで、真剣みに欠ける」。そのあたりが私の鼻にかかる…じゃなくて、鼻につくのです。
でも、「のんき」とは、“気が長い。気分や性格がのんびりしていて物事にあまり気をつかわない”という意味もあって、嫌いな言葉じゃありません。その反対の「気重で短気で、真剣」な雰囲気よりも、ずっと音楽を楽しめそうです。
嗚呼、なんだろう、この敗北感は。なんだかわけもなく悔しくなってきました。やはり、母にはかないません。真剣に音楽を追求する意味について、今夜お布団に入ったら考えてみようっと。