第530回 いざゆかん、遥かなる北へ…
明日から、久しぶりに東北に行きます。山形でのピアノコンクールの審査のお仕事です。
大震災の影響で、もう10年以上も関わっている福島でのコンクールやそれに伴う関連イベント(課題曲の講座やコンサート、公開レッスンなどなど)がすべて中止になり、今年は淋しい夏になるのかなぁ、とぼんやり思っていました。でも、未曾有の被害をもたらした大きな災害があったのですから、今までと同じようにいかないのはむしろ当然のことです。
平和で、安心して暮らせる日々があってこその音楽活動…。ミュージシャンたちは皆、大なり小なりそんなことを感じているし、実際にも発言しています。確かに、経済的にはそういった基盤あってこそ成立するものですし、それは音楽活動だけに限らないことだと思います。
でも、戦争の時代にも、全国民の数分の一が亡くなってしまうような恐ろしい疫病が蔓延っていた時にも…いいえ、むしろそんな時にこそ…高い芸術やすばらしい音楽は絶え間なく産みだされてきました。大切な人を失い、生きる希望を失いそうになりながらも、伝えていこう、つながっていこう、という意欲を失わずに歩き続けた芸術家たちのたくましさ、向上心には、なによりも勇気づけられます。
ある、大人の方のレッスンで、こんなことを質問されました。「先生は素晴らしいですね。小さい頃からずうっとこの道を迷わずに進んでこられたなんて!でも、もしこれから先、音楽を続けていく中で辛いことや苦しいことがあったら、先生はどんなふうに克服していかれるんですか?」
ご質問の意味をよく分かっていないのかもしれないな、と戸惑いつつ、答えました。「音楽がわたしを苦しめるとは、とても考えられなくて…。今まで挫折がなかったわけではないと思うのですが、辛いと思ったことは一度もないんです。」ウソじゃありません。
「最悪のことを想定してみたことも、ありますよ。例えば、収入がなくなってごはんが食べられなくなったらどうしよう、とか(笑)。でも、仮にそれで野垂れ死にしてしまうとしても、音楽から離れたいとは思えなかったんです。苦しみや辛さより、音楽からもらう楽しさ、パワーの方が常に上回っているんでしょうね。だから、怖いとは思わない。怖いと思う以上に、音楽が好きだし、音楽と関わっていたいのでしょうね。」
話しながら、震災直後に宮古の避難所に身を寄せていた漁師さんが、テレビのインタビューで答えていたことを思い出しました。「今回のような津波も、ある程度想定内のことだ。おらは今まで海(の恵み)に生かされてきたし、海のことには自信があっから、また海にでてぇす。(海は)ちぃっとも、怖ぐねぇよ。海と心中するくらいの覚悟は、あっからね。海を愛しているもの。」
その方の、これからも海に生き、家族を守りぬいてみせる、という固い決意に満ちた力強い言葉、その生き生きとした表情は、今も忘れられません。
答えながら、ふとその漁師さんの言っていることと自分の言っていることが、案外似ているぞ、と気づきました。心中、というのは穏やかじゃないしポジティブなことではありませんが、それは心意気の喩え。生きていくのは、どちらにせよ、ある意味命懸けです。
幸い、生徒さんは私の答えに納得してくださった様子で「先生、やっぱりステキ!」と、喜んでくださいました。いえいえ、ステキなのではなく、向こう見ずというか、我が強いというか、脳天気なだけです。ポリポリ…。
東北に行くのは、久しぶりです。東北には、いつも憧れがあります。寡黙で我慢強く、心温かな人々。澄んだ透明な空気は夏もさっぱりと乾いていて爽やかですし、冬には北国の冬ならではの、えもいえぬ匂いがあります。初夏も残雪をたたえて白く輝く山々や、寒暖の差による豊かな山の幸。雄大な山なみに見守られて実りを迎える田んぼの風景や、四季折々の花々。そして、きれいな雪解け水に浄化され、育まれた海の美しさと、その恵み…。
うっとりと思いをはせていたら、「北からおりてくる列車は花の匂いがするが、北へのぼって行く列車は汗の匂いがする」という開高健の小説の中の一文を思い出しました。
移動時には、新幹線の車中で一心不乱に読書にふけるのが常です。本を読むのは音楽を聴くことの次に(?)大好きで、自宅から仙台や山形の仕事先につくまでの間に、文庫本一冊程度なら軽く読破してしまうのです。でも、今回はじっくりと車窓を楽しんでみようかな。