第527回 大切な心得
「初めて演奏する曲は、充分に熟練を重ねて、もう何年も演奏し続けている旧知の曲であるかのように気のおけない雰囲気で…逆に、何年もにわたって何度も演奏してきた曲は、まるで始めて演奏する曲のように新鮮な気持ちと緊張感を持って演奏するよう、心がけています」
こう語ったのは、確か世界の弦楽四重奏団の最高峰のひとつに挙げられているジュリアード弦楽四重奏団の第一ヴァイオリンを永年務めた、ロバート・マン氏でした。もう20年近くも前に氏が来日した折に新聞に紹介されていた言葉ですが、いかにもプロフェッショナルなひと言だなぁ、と感心し、強く印象に残りました。
人前で初めての弾く曲を演奏する時の緊張感は、経験者ならどなたも理解できるかなりのものです。それを、あたかも何度もステージを積んでいるかのようにこなれた感じで弾くなんて、なかなかできることではありません。でも、厳しい練習を重ねてそこに到達しているあたりが、60年以上(!)もトップを極め続けている弦楽四重奏団たる所以なのでしょう。耳が痛い、というか、頭が下がる、ひと言です。
一方、何度も演奏してきた曲を新鮮な気持ちで、というのは、曲はもちろん、何年も連れ添ってきたパートナーに対してもそんなふうに接していられたらどんなに素敵だろうな、と思ったものです。
来日した演奏家の言葉で他に印象的だったのは、やはりヴァイオリニストのオーギュスト・デュメイ氏の、次のようなものです。「僕の演奏は、聴き手の皆さんへのラブ・レターなんです」
これはこれは、前出のマン氏と対照的に、いかにもフランス人のデュメイ氏らしいロマンティックなコメントです。なるほどラブ・レターなら、少々思いの丈が募りすぎて冷静さに欠いてしまっても、ご愛嬌。必ずしも理路整然としていなくても、感情や思いが伝われば相手をいい気持ちにすることができます。
個人的には、どちらかというとデュメイ氏の考え方に共感しています。弾き手の感じていることを、気持ち(楽譜)に対して誠実に美しい言葉(音)で伝え、相手(聴き手)を楽しませることができたら、お互いにそんなに幸せなことはありません。
打ち明けるのがちょっと照れくさいのですが、演奏はもちろん、この頃ではレッスンでもそれを心がけるようにしています。間違いを指摘したり、時には檄を飛ばしたり(?)こともあるかもしれませんが、根底には生徒さんへの愛情や、音楽に対する情熱をお伝えしたい、という思いがあります。どうか、生徒さんがピアノをもっと好きになって下さいますように。音楽とともに、豊かな人生を楽しんでいかれますように、と願いながらレッスンをしていると、時間はいつもあっという間に過ぎてしまいます。
こうかもしれない、ああかもしれない…という具合に、答えがたくさんありうるのが芸術のすばらしいところですし、音楽には、「こうあらねばならない」という明確な答えはありません。異なる答えを尊重しあえるのも、芸術のすぐれた面だと思います。
作曲家と聴き手との間で、楽譜というバイブルを紐解き、作者との対話を経て自身の言葉で“音”を発し、それを他者に伝えるという、自分の職業が、ずっと大好きです。
気づいたら、来年2012年は、デビューして25年の節目の年になります。ピアノ弾きとしての原点(?)に戻り、大作曲家が大切な人へ捧げたピアノソナタを三曲選曲してのリサイタルを考えています。題して“ソナタに恋して”。ちなみに、「ソナタ」は「其方(そなた)」とのダジャレじゃありません。(あらっ?もしかして今、ちょっぴり涼しく(寒く)なって下さいました?)
おっとっと、きれいにまとめるところだったのに、失礼いたしました。
演奏の場であれ、レッスンの場であれ、これからも音楽に関わって生きていることの幸せと、感謝の気持ちを忘れずに音楽や生徒さんと向き合い続けることが、わたしの目標です。