第525回 雨とのおつきあい

梅雨です。今年は日照時間が少なく雨の日が多くて、梅雨らしい梅雨であるといわれています。

梅雨のないヨーロッパの人は、この多湿な日々に、まず戸惑うようです。なにしろ、あちらは雨が降ってもそれが一日中続く、ということはまずなく、たとえ降ったにしても彼らは傘をささないままやりすごしてしまうのです。しばらくお店などの軒下で雨宿りしているうちに雨も上がって、湿度が一気にさがり、少々濡れた衣服もほどなく乾いてしまうことがほとんどです。

この時期にヨーロッパから来日したある弦楽器奏者は、あまりの湿気に「楽器がちっとも鳴らないよ。この調子では、響板が割れてしまうんではないかと心配だ。この時期の日本がこんなに過酷だなんて、イメージできなかったね」と、閉口していましたっけ。高湿度は、もちろんピアノにとっても過酷なものです。

ふと、子供のころによく聞いた、「雨がふります 雨がふる 遊びにゆきたし 傘(かさ)はなし 紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒が切れた」という、北原白秋の詩による童謡が思い浮かびます。八方ふさがりのような歌詞に、短調の悲しいメロディーが付けられた『雨』というタイトルのこの歌は、子供のころどうしても好きになれませんでした。でも、そんな曲に限って、クロマティック(半音階的)な前奏や間奏などを、鮮明に覚えていたりするものです。

雨の歌って悲しいくてちょっと暗い、というイメージは、『あめふりくまのこ』という、鶴見正夫さんの作詞による童謡で一掃されました。

   おやまに あめが ふりました
   あとから あとから ふってきて
   ちょろちょろ おがわが できました

   いたずら くまのこ かけてきて
   そうっと のぞいて みてました
   さかなが いるかと みてました

   なんにも いないと くまのこは
   おみずを ひとくち のみました
   おててで すくって のみました

   それでも どこかに いるようで
   もいちど のぞいて みてました
   さかなを まちまち みてました

   なかなか やまない あめでした
   かさでも かぶって いましょうと
   あたまに はっぱを のせました

作曲家湯山昭さんのほのぼのとした付点のリズムのメロディーは、まさに今でいうところの“癒し系”。当初、NHKの『おかあさんといっしょ』の前の番組『うたのえほん』で放送されたそうですから、私が生まれる前からある曲ということになります。一度聞いたら覚えてしまえるような親しみやすさ、一度口ずさんだら大好きになってしまうような愛らしさ…秀逸な童謡だと思います。

真偽のほどはわかりませんが、エスキモーの話すイヌイット語には、雪を表す言葉が100も200もあるといわれています。日本にも、梅雨のほかにも、穀雨、慈雨、甘雨、霖雨、煙雨、白雨、麦雨、弾雨、緑雨、暮雨…雨を表す言葉がたくさんあります。その多くが万葉の頃に詠まれていたことから、当時の人々がこの国の気候に感性を働かせてその特徴を愉しみ、味わっていたことがうかがい知れます。

ここで、私の雨の日の楽しみを三つご紹介したいと思います。

ひとつ。雨の日は、テレビを消して窓を開け、雨音に耳をかたむけてみます。晴れの日にも、雪の日にも聞くことができない音を、楽しむことができます。

ふたつ。雨の日は、お気に入りのレインブーツを履いて、近所を歩き回ってみます。埃や黄砂でくすんでいた木々がシャワーを浴びて、生き生きとした表情をしている様子を見てとることができます。

みっつ。雨の日は、和菓子を食べます。日本ならではのしっとりとした湿度のなかで頂きたいのは、やはり洋菓子よりも和菓子。このときはもちろん、エアコンなどかけてはいけません。梅雨の時期は、新茶のおいしい時期でもあります。若鮎や水まんじゅうなど、この季節ならではの清涼感のあるお菓子もいろいろありますし、練りきりでも黄身時雨でも、何でも好きなものを…おや?そういえば気味時雨って、「雨」がつくお菓子でしたね。

2011年06月17日

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