第524回 妖精が教えてくれる

最近、運動を始めました。

しばらくはジムのマシンで様子を見ていたのですが、あまり筋肉痛もなく3キロは走れることが判明したので、先日ついにロードデビューしました。梅雨の晴れ間、近くの川沿いを4~5キロほど印旛沼方向に走ってみたのですが、まったく苦痛はなく、それどころか日頃の疲れが浄化されていくような、とても爽快な気分になったのには我ながら驚きました。風を感じ、沿道に咲く花を愛でながらのランニングは、ジムで黙々と走るのとは別物でした。

イギリスの湖水地方に行ったおり、トレッキングをするたくさんの人々の姿を見かけました。時にはリュックにランチボックスを入れて、たとえ冷たい雨が降っても、どんより暗い雲が空を覆って肌寒くても、ほとんど一日中(?)村歩きを楽しむのです。もちろん、もともと風光明媚な場所ではありますが、劇的に美しい観光スポットを目指すというわけでもなく、彼らはとにかく歩くのです。

私も、歩いてみました。イギリスにはフットパスといって、一般の人が入ってもいい私道があります。羊を飼っているような場所にあるフットパス入り口は、羊がそこから敷地の外に逃げ出さないように木の戸が互い違いに組まれていたりします。そうやって、羊の丘や谷、湖畔などを歩いてみると、自分が自然や動物たちと一体になっていくような、なんとも平和な気分になっていくのがわかるのでした。

フィンランドの森を歩いた時も、そうでした。鳥の声、虫の羽音、自分の靴が草を踏みしめる音、そして風の音。さまざまな音が、木々や大気の気持ちいい匂いとともに漂う中にいると、自分が肉体を越えて、妖精のようなものになったような気分になったのを覚えています。

そうそう、フィンランド式“妖精との出会い方”をご存知ですか?妖精と出会うには、どうしたらいいか…それは、彼ら妖精の姿を見ようとしないことなんですって!「妖精の存在を感じてみましょう。でも、目で見ようとは思わないで。彼らはきっと、そこにいますよ」子供だましのようだ、とお思いになりますか?私はとても素敵な考え方だな、と思いました。人の気持ちも、魂も(そうそう、音も!)、人間にとって大切なもののほとんどは、そもそも目に見えません。でも、それを感じることができる人…妖精と出会える人が、幸福な気持ちになれる人なのではないでしょうか。

走っていると、呼吸のリズム、走るテンポ、周りの風景や音、風の感触などが、まるでひとつの音楽のアンサンブルのように感じられました。なんとも楽しい体験でした。ベートーヴェンが、お気に入りの森の小道を散歩しながら楽想を得たり、「自然を感じることこそが、音楽家にとって、芸術家にとって、一番大切なことだ」と説いていたのを、思い出しました。

よくアネゴ肌の豪傑のように思っていただくのですが見掛け倒しで、実のところ小さなことで思い悩んでしまうことの多い性分です。

その日も、ちょっとした悩みを抱えながら走り始めたのですが、走っていたらふと、二人の言葉が心に浮かびました。

ひとつはヨガの先生がおっしゃていた、呼吸についてのアドバイス。「息を吸うときには、息と一緒にキラキラしたきれいなもの、よいものをたくさん体に取り込むイメージで。逆に、息を吐くときには、体の中の辛いもの、わだかまり、疲労…手放したいものをその息とともに、すべて吐き出してしまうことをイメージして」歩調に合わせて、それを意識しながら呼吸していると、不思議と体が軽くなる気がしました。

もうひとつは、母の言葉です。「おかあさんは、人生にとってそれほど大事ではないようなことについて、くよくよ考えるのは好きじゃないの」今、自分は生きて、呼吸して、走っている…それができるだけでも感謝に値することなのだ、と、素直に感じられ、悩みは小さく小さくなって、心も軽くなっていく気がしたのでした。

もしも何かを思い悩んでいる方がいらしたら、空の下をただ歩くこと、走ることを試してみてください。何かいい答えが、妖精のようにその空から降りてくるかもしれませんよ!


2011年06月10日

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