第521回 今は“清春”?
先日、高校時代の友人と再会して、ゆっくり親しくお話しする機会がありました。それはそれは楽しいひと時でした。
でも、実は私にとっての高校時代は、必ずしも楽しい日々ではありませんでした。ちょっと憂鬱ですらありました。
その理由はまず、自分の実力以上にレベルの高い県内きっての進学校だったので、授業についていくのが大変だったこと(正確に言うと、授業についていけなかったこと)。それから、一分を惜しんで家に帰り、ピアノの練習に励まなければならなかったので、部活に入ることもできなかったこと。他にも、音楽のことばかり勉強して過ごしていたので、友人たちのアイドルやドラマの話などになかなかついていけなかったことなど、挙げればきりがありません。
生徒が美人ぞろい、ということでも有名だった女子高です。聡明で美しい同窓生の中にあって、自分の容姿についてのコンプレックスも、憂鬱の原因でした。名古屋時代の名残りのニキビもなかなか完治せず、クセ毛でずんぐり、典型的日本人の健康的な体型の私。思春期らしく、色白ですらりとしたストレートヘアの先輩に憧れるも、自分とのあまりの違いに、日々暗澹たる気持ちに陥っていました。
おしゃれにはほとんど興味がなかったので、制服がある学校だったことには感謝していました。それと、女子高だったので、校内に男子生徒がいないことにも。男の子に興味がなかったわけでもありませんでしたが、それでなくてもコンプレックスの塊だった私。好きな男の子でもできて失恋する羽目になったりしたら、学校生活がますます耐えがたいものになってしまいます。
音大受験のため、東京にもレッスンに通わなければならず、家族に経済的にも迷惑をかけている、ということも、辛い毎日の大きな原因になっていました。つまり、どちらかというと一般的にいう“暗い”高校生時代だったといえるかもしれません。
それでも、そんな私を励ましてくれる少数の友人がいました。学年によってはクラスが違って、毎日会えるとは限りませんでしたが、彼女たちの支えは大きなものでした。休憩時間にこっそり音楽室にもぐりこみ、ドラマやアニメの曲のパロディーをピアノでアドリブで弾いて、彼女たちを笑わせるのが大好きでした。
先生のご理解にも、恵まれました。どんどん勉強がおろそかになり、3年生の時『数学Ⅲ』でとうとう赤点までとってしまった私に、当時担任だったO先生は、お説教をするどころか「鈴木は、(赤点をとったって)いいんだいいんだ。お前はそんなこと気にしないで、とにかくピアノを一生懸命やりなさい」と、笑顔で励ましてくださいました。涙がでそうになりました。いいえ、家に帰って本当に泣きました。
数年後、そんな思い出深い母校で非常勤講師を務めることになりました。音楽大学を受験する生徒の授業などを受け持つことになり、O先生とはその後、約10年の間“同僚(?おこがましいですが)”になりました。
そして数十年後(ん?さすがに言いすぎか。でも“十数年”ではウソになる…)の先日、二女高の仲間と再会する機会がありました。時間を飛び越えて女子高生時代に戻り、当時以上に屈託なくおしゃべりに夢中になりました。“暗い”ところは一掃されて、きらきら輝く女子高時代が目の前に広がり、それがこれからもずっと続くような気持ちにさえなっています。
“同じ釜の飯を食べた仲”ではないけれど、同じ教室で毎日のように顔を合わせ、早弁と昼休みのアイスクリームタイムを共にし、いろいろなことに揺れる青春時代をわかち合った同学年の仲間は、ある意味では血縁を超えて家族以上に家族のようになっているのかもしれません。
人生、何がどうなるかわからないものです。年を重ねるごとにだんだん悩みが解消されて(諦めがついて?)、やりたいことや好きな生きかたが次第にはっきり見えてくるのは、楽しいことです。
あれこれ思い悩むのが青春である、というなら、確かに私の青春は、二女高時代に一区切り…終焉を迎えたのかもしれません。でも、でもです。確かに私の“青春(第一のセイシュン:青く未熟な春)”は、高校時代に終わったかもしれないけど、その後には“清春(第二のセイシュン:余計な雑念がだんだんそぎ落とされる春)”時代が到来し、さらには“成春(第三のセイシュン:成熟していく春)”へと、レベルが上がっていくのかもしれません。
そうです。“青春”も出世魚みたいに、そうやって成長していくんです!(と、いう説…ちょっと無理があるかしら?)
みなさん!死ぬまでセイシュンを謳歌しようではありませんか!えいえいおーっ!