第510回 下手のススメ
春が一歩一歩近づいてきました。
花々も、鳥たちも、高く評価されようとしてその姿や鳴き声の美しさを競っているのではありませんが、だからこそそれらにふれると幸せな気持ちになるのしょう。同じ生き物である私たちが、そういうものに心惹かれ、癒され、励まされるのは、とても自然なことだと思います。
どう弾いたらいいのか、どう解釈したらよいのかを教えてください、と生徒さんにたずねられると、「自然であるように」と答えています。もちろん、それだけではあまりにも抽象的なので、具体的な説明も加えるのですが。それでも、そもそも自然というのがどういうものなのか分からなければ、方向がずれてしまいかねません。
その点、子供たちは素直です。自然、という意味なんて知らなくても、「気持ちいい」「かわいい」「好き」「おもしろい」といった数語のボキャブラリーと、実際に私の出した音色や演奏を聴くことで、ほぼ100パーセント理解してしまいます。子供はみんな天才!まさに、天から才能を与えられた天使だ、と、つくづく思います。
「こんにちは!」玄関で、元気な声と一緒に、愛らしいシルエットを見せて登場してくれる天使たち…。いつも彼らからたくさんの幸せをもらっています。
その、『幸せにできること』こそ、私が考える才能の豊かさ―――天才性―――なのです。能力が高いかどうかとか、聞きわけがいいかどうかとか、上手に弾けるかどうか、なんて、どちらかというとどっちでもいいのです。周りの人たちを“幸せにできる”かどうかが、そのバロメーター!…でも、こんな考え方ってどこかおかしいのかな?…そんな疑問に、私にいつも幸せをくださる“天才”お二方が、はっきりと答えてくださいました。
ひとりは、画家の故・熊谷守一さんです。1880年のお生まれですから、バルトークよりも一年先輩です。「いったいね、絵なんてのは何も描かない(キャンバスの)白ほどきれいなものはないですからね。けれども人間というものは情けないもんで、絵でも描いて遊ぼうというんでしょうね」97歳で他界されるまで、一貫して名声には一切関心を持たず、文化勲章も辞退して自らの画境を貫いた“仙人”とも呼ばれた熊谷守一さんは、『へたも絵のうち』という著書も残されています。
「上手なんてものは、先が見えちまいますわ。行き先もちゃんとわかってますわね。下手なのは、どうなるかわからない。上手何かより、スケールが大きいですわね」世間では下手だと言われている良寛さんの書も、熊谷画伯からみると「あんまりきれいで上手すぎて」、初めてみた時には「困った気持ちになった」そうです。
もうお一方は、1903年に青森県の津軽地方にお生れになった、棟方志功さん。私がひそかに“日本のベートーヴェン”とお慕い申し上げている、版画家ならぬ“板画家”です。彼はご自身の仕事について、「下手というものが美しくするですね。鉄斎さん(*1837~1924年。日本画家)なんかはほんとに下手くそで、見られたものじゃないですよ。あんな下手な絵描きないと思うくらい。けれども宝玉みたいなものをいつもちりばめているから、さらに輝いた仕事になっていますよね」そしてさらに、「やっぱり、絵描きはほとばしってこなければ、ほんとのものが生まれてこないと思うんですよ」とも。絵描き、のところには、音楽家、も、そのままあてはまります。
最近知ったのですが、棟方さんはベートーヴェンが大好きだったのだそうです。ベートーヴェンの交響曲のタイトルから『運命領』や『歓喜領』といった作品も残されていると知って、驚きました。そればかりか、大の音楽好きで、自宅にスタインウェイグランドピアノを入れて、ときどき弾いていらしたそうです。
「音楽というものと美術との関係は、わたくしにはきりはなせない、お互いにむすび合う世界だと思っていますが、特にわたくしにとって、音楽はベートーヴェンというくらい、ベートーヴェンが好きです」常々、棟方志功さんから、ベートーヴェンに通じるようなほとばしる真実のエネルギーを感じていたのは、間違いではなかったのだとわかって、嬉しいかぎりでした。そうそう、熊谷守一さんも音楽が好きで、彼はチェロを弾いたのだそうです。
いよいよ年度末。受験やら決算やら確定申告やらと、なにかと落ち着かない頃ですが、春はもうすぐ。ハワイには“no rain, no rainbow(雨がなければ、虹もでない)”という諺があります。日本的にいうと、さしずめ“雨降って地かたまる”といったところだと思うのですが、私風にいわせてもらえれば“no winter , no spring(冬がなければ、春は来ない)” 。冬の向うに春の陽ざしが輝いているように、下手の向うには幸せな笑顔が輝いている…と、いいな。