第501回 胸がキュ~ン…な受難曲

街にはクリスマスのイルミネーションが輝いているのに、関東ではコートがいらないような温かな一日があったり、はたまたヨーロッパではひどい寒波で何人もの人が凍死していたり…。いくらなんでも、ひどい壊れようです。

師走の空の下、近所の公園で、その近くのスーパーで調達したアイスクリームを食べながら、20年近く前に、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた国連の地球環境サミットで演説した、12歳の少女のスピーチを思い出しました。当時、世界のトピックになっていたのは知っていましたが、彼女の6分間のスピーチが『あなたが世界を変える日』という絵本になっていることを、ひょんなことから知ったばかりでした。

   死んだ川に
   どうやってサケを呼びもどすのか、
   あなたは知らないでしょう。

   絶滅した動物を
   どうやって生きかえらせるのか、
   あなたは知らないでしょう。

   今や砂漠となってしまった場所に
   どうやって森をよみがえらせるのか、
   あなたは知らないでしょう。

    どうやって直すのか
    わからないものを、
    壊しつづけるのは 
    もうやめてください。   (抜粋)

耳が痛い。もっとも深刻な悲劇は、壊している大人たちにその自覚が充分にないことや、壊れている現実に人々の関心がきちんと向けられないことから、生まれてしまうのではないでしょうか。

地球も壊れかかっているけれど、もしも、人と人との信頼関係や、育まれてきた文化が壊れつつあるとしたら、それと同じように、いいえ、もしかしたらそれ以上に悲しいことです。人の感性自体、危うい状態になりかかっているような気がすることがあるのです。例えば、この頃の世の中には情報が多すぎて、いつしか人は自分の眼や思考からの“内部”からの判断よりも、クチコミやら何やらといった“外部”からの情報の方を頼りに行動するようになってきているように見えます。

昨日、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団とドレスデン聖十字架合唱団の日本公演を、サントリーホールで聴きました。バッハの『マタイ受難曲』全曲です。あやふやな情報と、人々の無責任な発言や無関心さによって無実の罪をきせられるイエス・キリストの受難…人間の弱さ、愚かさが、美しくドラマに満ちた音楽によって生き生きと語られる、バッハの最高傑作と謳われる作品です。その演奏はとても誠実で素晴らしく、途中で何度も目に涙が溢れました。重いはずの内容がすっと心に入ってきて、3時間があっという間に過ぎてしまいました。

ふと、イエスを地球に置き換えたら、この受難は現代にもあてはまるような気がしてきました。掛け替えのないものを永遠に失うことにならないよう、もっと責任と意識をもって生きていかないといけないな、と、素直に思えるのは、バッハの音楽のとてつもない力のなすところでしょう。

イルミネーションやライトアップも、ロマンチックなものです。でも、街灯がなくても犯罪の心配がなくて、地上が暗い分だけ星のまたたきがたくさん見えるようなところで、大好きな人と一緒にのんびり『マタイ受難曲』のアリアなんぞを聞きながらクリスマスを過ごすことができたら、どんなに素敵でしょう!

あ、コラール“ 血潮したたる主のみかしら”なんかも、いいなぁ。そうそう、この美しいコラールのメロディーはバッハの作ではなく、ハンス・レオ・ハスラーという、バッハより大分前のドイツの作曲家が1601年に出版した歌曲集に収められた「私の心は千々に乱れ」という恋の歌なのだそうです。どうりで、初めて聴いたとき胸がキュ~ン、としたはずだ!

2010年12月04日

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