第499回 「笑い」はえらい!

今、タイトルを打ち込もうとして気づいたのですが、このエッセイは次回500回という“節目”を迎えるのですね。まさか、そんなに続くことになるとは、思ってもいませんでした。これというのも、「毎週楽しく読んでいますよ」という皆さまのお励ましと、「書くことが職業じゃないんだから、上手に書けなくてもいいや」という、いい加減な性格のたまものです。

文章のうまい下手にはまったくこだわっていないのですが、ついちょっと意識してしまうのは「笑えるどうか」。読んでくださった方が、ニヤッとでも、ニコッとでも、ニマっとでも、いやいや、ココロのなかだけでもいいから、笑って下さることが、私の目標なのです。

もともと『お笑い』は、何でも大好きです。コントでも喜劇でも、漫才でも落語でも。歌舞伎が好きになったのも、すべてではないにせよ、そこに“笑える”要素がかなりあることからでした。

ハンガリーでは、クラシックのコンサートの最中にも、隣の席の人と顔を見合わせて、お互いに「にッ!」と笑いあう場面がよくありました。「お?今のアプローチ、いいね~!」「きたきた!これぞ(この演奏者の)真骨頂!!」のようなシーンで、それはたとえ隣の人が見知らぬ人であっても、起こったりするのです。そんな時には、コンサートを実に満喫している気分になるものです。

もう随分前になりますが、仙台フィルハーモニー管弦楽団の首席管楽器奏者の方々と、コンサートで室内楽をご一緒させていただく機会がありました。演奏曲目に、フランセ(作曲家)の「ピンナップ・ガール」というタイトルの曲がありました。『恋人の黄昏時』という組曲の第二楽章だったと思います。クラリネットがほとんどソロ状態で、ちょっぴりセクシーな表情をコケティッシュに演じる、楽しい楽章です。

いつのまにか、その楽章だけクラリネット奏者のH氏はマリリン・モンローのような金髪のカツラをかぶって弾くことにしよう、という話になりました。彼は関西出身でした。

何度目かのリハーサルの時、その「金髪」がお目見えしました。金色というよりも、黄色に近いものでした。一度、全楽章を通して弾いて段取りを確認しよう、ということになりました。さて、第一楽章が終わり、第二楽章に入る前。彼が、その金髪のカツラを自らの頭に被せて楽器を構え、いざ音を鳴らそうとすると、他のメンバーの方がみんな「ぶっ!」と、噴出してしまいました。

それは、あまりにもグロテスク(失礼!)なピンナップガールだったのです。出だしの音を揃えるために、合図をしなければならないのですが、それは、お互いに目をあわさなければならない、ということを意味します。そう。見たくなくても、見なければならないのです。ピアノなら、たとえ「ぶっ!」とやっても、音にはさほど影響ありませんが、管楽器はそうはいきません。音になりません。いいえ、正確に言うと「ぶっ!」という音だけが、ホールに響き渡ることになってしまいます。

その時、メンバーの誰かが言いました。「お客さんを楽しませないといけないのに、やっている方がウケてちゃだめだよ。それ、『お笑い』の基本じゃないだろうか?」そうだそうだ、自分たちはあくまでもストイックでなくっちゃ、ということになって、気を取り直し、また挑戦するのですが、なかなかどうして、メンバーの誰かがつい、「ぶっ!」をやってしまうのでした。

しかも当日のH氏は、燕尾服にマリリン・モンローのカツラ、という、もっと奇怪な“なり”になるのです。いったい、だれも噴き出すことなく演奏に入れるのか。たとえ首尾よくスタートできたとしても、曲中で油断したすきに、ふと、自分たちの異常なステージ姿を意識して、いつ「ぶっ!」が襲ってくるかわかりません。これは難易度高し、です。

さて、コンサート当日。第一楽章が終わり、クラリネットのH氏が傍らに隠しておいたカツラをやおらとりだしてみせると、会場がどよめきました。H氏はなにくわぬ顔でそれを頭に被せ、もはや随分なれた手つきで顔まわりの髪をかき上げると、今度は客席から爆笑が沸き起こりました。ここから先は、さすがプロ。誰も「ぶっ!」を発することなく完璧に第二楽章が終わり、カツラはまた、元の場所に戻されました。

いまひとつツヤのない黄色いカツラを被ったH氏の、燕尾服にノーメイクのモンロー姿(?)には、どこか悲哀のようなものがありましたが、そのなりで圧倒的に素晴らしい演奏をしたのですから、もう、悲哀を踏み台に可笑しさ百倍!…それはそれはゴキゲンでした。

「人生は、クローズアップでは悲劇だが、ロングショットでは喜劇になる」と言ったのはチャップリンだっけ。哀しい出来事も、そのほとんどは時間が経つと“笑える”思い出に化けるものです。『お笑い』万歳!…かくして私は、書く時も弾く時も、コンサートで話すときにも、つい“笑い”を求めてしまうのあります。

人間が一番求めているものは、生活の安定やら高い地位といった類のものではなく、実は心からの「笑い」なのではないか、という気がしています。

2010年11月19日

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