第495回 ハンガリーを想いて
デビュー10周年記念のリサイタルのチラシがでてきました。1997年のものですから、今から13年前になります。タイトルは“東欧を想いて”。
思い返すと、大胆にも二回目のリサイタルでトークを入れて以来、できるだけ“トークコンサート”のスタイルをとってきました。やがて、リサイタルやコンサートの内容を、演奏曲目をご存じない方にもなんとなしにイメージしていただけるように、タイトルをつけるようになりました。さらに、チラシや当日お渡しするプログラムに、コメントやエッセイを書くようにもなっていきました。
「音楽なんだから、説明や能書き、ましてや弾き手の主観など、一切のことばなしに、演奏だけですべてを伝えるべきだ」「噺家じゃないんだから、コンサートでトークを入れるなんて、邪道だ」など、もっともなご意見です。ご批判も受けないではありませんが、そういった意見に従おうと考える気持ちよりも、お客様に少しでも楽しんでいただきたい、クラシック音楽に親しんでいただきたい、という気持ちの方がはるかに勝っているので、仕方ありません。
さて、その“東欧を想いて”のプログラムには、ショパン、リスト、そしてバルトークが並んでいました。チラシの裏面には、次のようなエッセイのようなものが書かれていました。
【東欧を想いて】
いつのまにか、ポーランドの少し重たい空を思わせる、愁いをおびたショパンのマズルカの世界に引き込まれていた。以来、わたしの10代はいつもショパンと一緒にすぎていったような気がする。
やがて20代になると“東洋人である自分が弾くのは、純粋な西洋音楽にはなりえないのではないか”と、見えない壁を前に悩むようになった。ハンガリーの作曲家、バルトークの書いた農民音楽に出会ったのは、そんなある時だった。
その響きは、西洋的でも東洋的でもあるように思われた。といって、無機質なコンテンポラリーでは決してない。それは他のどんな音楽よりも暖かく、わたしにこう語りかけてきた(ような気がした)のである。「自分らしく、自分の音でお弾きなさい。わたしの音楽に西洋の壁がみえますか?」
それから留学を決意し、ハンガリーに渡るのに、さほど時間はかからなかった。ハンガリーを好きになるのには、もっと時間がかからなかった。
そして「わたしが求めるのは、聴衆の“絶大な讃美”よりも“静かな共感”なのです」と語っていたリスト。―――いろいろなことを教えてくれた彼らの曲を、心を込めて誰かに弾くことができたらどんなに幸せだろう。三人の魂を育んだ、母なる東欧の地を想いながら…。
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最後に“三人の魂を育んだ”、とありますが、本音を言うと、“三人の、そしてわたしの”と、書きたい気持ちでした。私もハンガリーの地に、ハンガリーの人々に、どれだけ様々なことを教えられたかわからないのです。
リサイタルSYMPOSIONが日一日と近づいています。今回のテーマは“マジャール(ハンガリー)の心”。
一杯のお茶にホッと癒されることがあるように、お客さまが心からほっと和んでくださるような演奏ができたら!本番前はどうしても緊張感が高まってしまうものですが、できれば心おだやかに、感謝の気持ちを込めてピアノに向かいたいものです。ハンガリーの地を想いながら…。