第494回 “楽器”のおはなし
「楽器って、“楽機”って書かないでしょ?器(き)、はうつわの器(き)。機械じゃないのよね。器って、何かを入れる入れ物のことですね。食べ物を入れるものは食器、お花を入れるものは花器。じゃ、楽器って、何を入れるもの?…そう、音楽ね。でも、音楽を入れるのなら、どっちかっていうと“音器”のほうがピンとくるような気がしない?なんで“音器”じゃないのかな?」
ピアノは、楽譜の音を正確に弾くだけでも、とっても大変。すぐ音はでるには出ますが、逆に10本の指を駆使して音を鳴らせるので、他のどの楽器にもまして弾かなければならない音数が多いからです。ピアノ譜は大譜表といわれる二段譜が基本ですが、それは時として、4段にもなり得ます。そこに、様々な無数の音符が、チベットの星空のように(見たことないけど…)ちりばめられているのです。
ですから、生徒さんが、つい音を聴いて楽しむことなく、音符だけを追いかけて弾いてしまいがちになってしまうのは、無理もありません。私だって、ややもするとそんな状態に陥りがちになるのですから。でも、だからといって、楽器を相手に“格闘”しても、あまり手ごたえが得られるものではありません。もっと生徒さんに楽器と仲良くなってもらいたくて、もっと音楽を楽しみながら弾いてもらいたくて、つい、お話してしまうのです。
「音と音楽は違うってことなのよね。考えてみたら音はサウンド。音楽はミュージック。サウンドは物理現象だけど、ミュージックの語源は“ミューズ”…ギリシア神話の女神様だものね!楽器のことを“音器”とも、“音楽器”ともいわないのは、音楽の本質が、“音”よりもむしろ、“楽”のほうにあるからなのかもしれないよね。音が鳴っていない瞬間にも、音楽的な“楽しみ”がたっぷり潜んでいる時って、たくさんあるでしょう?」
だから、楽器は“音器”でも、もちろん“楽機”でも“音機”でも、いけないのです。それは、楽しみをいれる器。なんて素敵な器でしょう!私が世界で一番好きな器です。
さて、先日、地元の小学校での恒例のコンサートがありました。このコンサートをさせていただくようになって、はや10年になります。PTAの皆さん、学校の先生方…。多くの方のご協力で、今年は500人近くものお客様がいらっしゃいました。
今回のテーマは“ピアノの名曲でめぐるヨーロッパ音楽紀行”。でも、実は自分の中に“隠しテーマ”を持って臨みました。隠しテーマ其の壱は『知らない曲(人、もの…)も、ちょっと関わってみれば、きっとずっと面白く聴けるようになるよ』。…バルトークの、“3+3+2”という複雑な混合拍子で書かれているブルガリアのリズムによる舞曲を、お客さまにお願いしてボディーパーカッションで“演奏”していただきました。隠しテーマ其の弐、は『表面的なイメージだけで、その人を判断しない方が楽しいよ!』気むずかしくて厳つくて、いかにも気性の激しさが強調されがちなベートーヴェンの書いた、ラブレターのように美しいメロディーの作品を聴いていただきました。そして隠しテーマ其の参は、『みんなちがうけど、そのちがいが素敵なんだよ!』それぞれの個性、それぞれの良さを感じてもらいたいと思って、9カ国の作品を選曲しました。
プログラムの最後の『トルコ行進曲』では、いつものようにトルコの太鼓の音を皆さんに足踏みでお願いしたところ、皆さんがとてもよくご協力くださって、500人の足踏みで体育館の床がずんっと揺れるように鳴り響き、それはそれは太鼓以上に太鼓のようでした。小学校の体育館が、コンサートホール顔負けの、素晴らしく楽しい器に…まさに、“楽器”に、なったのです。
演奏が終わると、会場から「アンコール!」の掛け声と手拍子が沸き起こりました。私こそ、皆さんに「アンコール(フランス語で、“もう一回!”の意味)!」と、言いたくなりました。コンサート終了後、子供たちが私を囲んで口々に、「とてもよかったです!」「すごく楽しかった!」と、労ってくれました。握手した手を、いつまでも離さない女の子もいました。
お客様との共鳴、共感、共演(!)…それこそ、私の目指す“SYMPOSION(シンポシオン=共に飲み交わす)”です。
さて、いよいよリサイタル“SYMPOSION”が、日一日と近づいてきました。私が愛してやまない唯一無二の相棒…ピアノという器に、どうか、たくさんの楽しさをいれられますように…。