第489回 拝啓 父上様(70?回目の誕生日に寄せて)
9月になっても暑い日が容赦なく続いていますが、お変わりありませんか?もうすぐ9月5日。パパの誕生日ですね。その日は、私にとっても特別な感慨のある日なのです。
20年ちょっと前にハンガリーに旅だったのが、ちょうどその日…9月5日だったのでした。
海外はおろか、飛行機に乗った経験すらなかったのに、無謀にも当時まだ共産圏だったハンガリーにいきなり渡航。しかも、直行便がなかったのでドイツのフランクフルトで乗換えて、そこからはマレブ航空という当時のハンガリー国営の航空会社の小さな飛行機で入国する、という、長い一日でした。
緊張のあまり(?)、乗り換えのフランクフルト空港でコンタクトレンズを洗おうとしたところ、落としてしまったのを思い出します。近くにいたドイツ人と思しきご婦人が、みんなトイレの床に顔を近づけて、探してくれたんですよ。もう、申し訳ないやら自分が情けないやら心細いやらで、すっかり気後れしてしまって、つい、口をついてしまったのが「すみません」という言葉でした。
でも、日本と違って、こういう時に「すみません」はどうもおかしい、と、すぐさま気づきました。欧米では“すみません”、“ごめんなさい”よりも、まずは“ありがとう”なのです。そして、思ったのです。「ごめんなさい、だけじゃなくて、どうもありがとう、とか、心から感謝します、という語句だけは、どの国に行く時にも口をついて出るようにしておかなくては。感謝の気持ちもきちんと相手に伝えられないようでは、日本人としての誇りがすたる!」と。
高校までは自宅から通学していたし、大学時代は寮生活をしていた私にとって、初めての海外生活はそのまま、初めての独り暮らしのスタートでもありました。グラム買いしなければいけないお肉屋さんや野菜やさんでは、ハンガリー語しか通じません。メトロやバスなど、交通機関はもとより、手動エレベーターの乗り方にも戸惑っていたけど、現地の人たちに親切にしていただいて、すぐに慣れることができました。
小さい頃からパンケーキやホットケーキなどの“粉もの”にも慣れ親しんでいたし、パパとママが好き嫌いなく、何でも食べられるよう教育してくれたおかげで、日本食が恋しくなることもなく、食べ物のストレスとも無縁に過ごすことができたことにも、感謝しています。
毎日遅くまで働きに働いた、まさに“昭和のサラリーマン(猛烈社員?)”だったパパだけど、日曜日ともなると必ず家族を郊外の公園やらどこへやらに、ドライブに連れて行ってくれましたね。そのお出かけの前…午前中には、よく自慢のビクターの真空管のステレオで、秘蔵の(?)レコードをかけてくれました。
それは、あの、ヴァン・クライヴァーン弾いているのチャイコフスキーのピアノ協奏曲だったり、ホルショフスキーのピアノによるシューベルトのピアノ五重奏曲“鱒”だったり、MJQのスタンダードナンバーだったり…。
今思うと、知らず知らず、すごく良いものを聴いていたのですよね。いつも何かしらの歌を口ずさんでいたママの影響と相まって、私は当時にしてすっかり音楽の魅力にはまり、そのまま現在に至っているわけです。(両親の影響は、多大でした!)
9月5日は、たくさんの影響をパパとママから受けて育ったそんな私が、日本を離れて、距離的にも精神的にも(?)親離れした、自分の中での“旅立ちの記念日”なのです。これからも、この日…パパの誕生日がくるたび、それを思い出すことでしょう。
パパの人生も、70年半ばにさしかかって、いよいよ“これから”ですね。旅行が大好きなパパが、これからも前向きに、かつ“外向き”に、心も気持ちも、好奇心も広がっていくことを祈って…。感謝の気持ちを込めて、今年はいつものシングルモルトの代わりに、地球儀を送ることにしました。
テレビで世界のニュースをみては、いつもこまめに地球儀で場所を確認しているけれど、今まで愛用のものはもう20年近くも前のものでしょう?「もの」は何でも大切に大切に、直しなおし長く使うパパだけど、国の名前もその頃からは随分変わっているし、充分すぎるほどに使い込まれたせいで、お手元にある初代の地球儀はもう、かなりくたびれてしまっているでしょう?そろそろ新調しても、バチは当たらないと思います。
明日そちらに届くよう手配したのは、定評ある1930年創業のアメリカの地球儀専門メーカー、リプルーグル・グローブス社のものよ。アンティーク調のもので、きっとお部屋にも合うと思います。気に入ってもらえたら嬉しいです。
パパの、これからの人生が、ますます豊かなものになりますように…。乾杯!