第480回 “好き”に囲まれよう

炊飯器、ホットプレートやスチームもでるオーブングリルレンジ、フードフロセッサーやホームベーカリー(家庭用パン焼き機)はもちろん、お鍋に直接入れてスイッチを入れればそのままポタージュスープができる攪拌機(?)、アイスクリームメーカーやハンドミキサーなどなど、気がつけばキッチン周りだけでもおびただしい種類の家庭用電化製品に囲まれています。

でも、キッチン以外の家電となると、ぐっと装備が貧弱です。テレビはブラン菅のままだし、掃除機は15年以上前のもの。洗濯機も冷蔵庫も10年以上経っているものばかりですし、このパソコンも、もう10年目に突入しています。

音楽家は、さぞやオーディオや周辺機器にはこだわっているのだろうと思われがちですが、私の場合はさにあらず。今でも、ハンガリー留学時代に愛用していたチェコ製の「ポータブルレコード-プレーヤー」の音が恋しくなってしまうようなレベルです。

基本的に、家電にはハイ・テクノロジーを求めないタイプです。求めるとしたら、ハイ・テクノロジーよりもハイ・クオリティー。

“クオリティー”に求めるものはまず、耐久性…その機械の生命力、体力です。すぐに不具合をおこすような虚弱体質な子は、困ります。新製品がでるとつい欲しくなるような性格ではなく、一度買ったらできるだけ長く永く、とことん使いたおしたいのです。貧乏性だから、というよりも、気に入って選んだものに対しては、年々愛着が増してしまう性質(たち)のようです。

でも、それだけではなく、最近特に、クオリティーにデザイン性も重視するようになってきました。ここでいうデザイン性とは、使い勝手のよさ、という実用――いわゆる、“用の美”――も、含まれます。いくら“性能”を身につけていても、デザイン的にピンとこないものには、気持ちが満たされないのです。

デザインといえば、昨日、新東京美術館で開催されている、陶芸家ルーシー・リーの器展に出かけてきました。4月下旬からの会期で、一日も早く行きたい行きたいと思っていたのですが、13日の日曜日の弘前でのリサイタルを終え、ようやく落ち着いてやっと見に行くことができたのです。

ルーシー・リーは、大好きな作家さんで、昨年六本木のミッドタウンで行なわれた作品展にも足を運びました。そこで彼女の製作風景のアーカイブ映像を見たたのですが、体でリズムを取るようにしながら轆轤をまわす姿や、少女のような笑顔を見て、ますます好きになってしまいました。

彼女が生まれたのは、1902年のウィーン。当時、その国はオーストリア・ハンガリー帝国という名の、二重国家でした。彼女に興味を持ったのは、ウィーン時代の、バウハウス(ワイマールに創立されたデザイン学校)の影響を受けている作品に、親しみを感じたことがきっかけでした。

一見して「ルーシー・リーのものだ!」とわかる特徴的なフォルムや色使いは、個性的でありながら、決して自己表現を押し付けるところがありません。彼女自身のチャーミングな笑顔のように、表情豊かな色彩、質感、形にはまったく気負ったところがなく、作品を見る人、触れる人に微笑みかけているようです。

箱にしまってお蔵に“保管”しておくのではなく、いつも見えるところにおいて、毎日“愛でて”いたい!、と思わずにはいられないような、彼女の手による器を見ていたら、「そうよね、いいものって、本来、そういうものよね」と、考えさせられてしまいした。

私事ですが、花が大好きです。花好きは母からの遺伝かもしれません。実家に帰ると、いつも玄関やら洗面所、トイレにいたるまで、ちょっとしたところに花が飾られています。

季節の花々を食卓やレッスン室…いつも自分から“見える”ところに飾っています。ほんの小さな花でいいのです。花を飾ろうとすると、まず、その花が可哀そうに見えないように、花が映えるような背景(?)に配慮することになります。つまり、ごちゃごちゃしたところに置いてて、彼女(お花)がしょんぼりと目立たなくならないよう、片付けをするわけです。その結果、お部屋はすっきり。それに、花を見ているとちょっとやそっとの心のもやもやまでもがすっきりしてきて、余計なちからが抜けるような気がするのです。花は、私の心と生活の薬…サプリメントなのです。

好きなものは、いつも、目や手の届くところに置いて、好きなときに見たり、触れたりしたい。
好きな音楽は、好きなときに聴いたり、弾いたりしたい。

好きなもの(そしてもちろん、好きな人たち!)に囲まれて生きること以上に、贅沢なことはありません。彼女の器のように、私のピアノも、生活を楽しむために誰かに少しでも役に立ててもらえたら、本望です。

2010年06月19日

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