第479回 ブリの照り焼き考

うちのテレビは相変わらず液晶でもプラズマでもありませんが、契約しているケーブルテレビの方がデジタルチューナーに取り替えてくださったおかげで、テレビを買い換えることなく、めでたくデジタル放送が見られるようになりました。ケールブテレビも、従来の二桁ではなく三桁入力になって、なんだかテレビ環境が進化したような気分です。

たまたまつけてみたケーブルテレビのチャンネルで、お料理番組をやっていました。ブリの照り焼きの作り方でした。

ふむ、それなら大体わかってるなぁ、なんて思いながら眺めていると、なんと、まずはじめに先生が鍋で塩を煎り始めるではありませんか。「お~っ、ここから?」と、思わず膝をただし、最近、頓に和食を作る機会が増えてきたこともあって、きちんと気合を入れなおしました。教えてくださるのは、上方が本校の、某有名料理学校の先生です。

1.まず、塩を空鍋に入れて煎り、水分を飛ばしてさらさらにします。

2.ブリに薄く、煎った塩を振って、15分おきます。(このとき、バットにまず薄く均等に塩をしておいて、その上にブリをのせ、さらに上から塩をします。)

3.白ねぎ一本に細かい切込みを入れ、3cm長さに切ります。残り一本の白ねぎは縦に切り開いて芯を抜き、2cm長さに切り、何枚か重ねて繊維にそって千切りにし、水で洗ってぬめりと臭みを取り、針ねぎにします。

4.大根を繊維を潰すように、おろします。わさびの下処理をし(番組では本わさびを使っていました。茎の部分の切り方やいぼいぼの下処理の仕方などなど、勉強になりました!)、じっくり丸くすりおろします。大根おろしとわさびを混ぜ、好みの辛さにしてわさびおろしを作ります。

5.ブリをボウルに移し、落し蓋をします。余計なぬめりや血の塊を除くため、約80℃の湯を注いで霜降にし(皮がめくれずに、うろこが取りやすい状態にするために、80℃が望ましいのだそうです。このとき、先生はブリの上に落し蓋を置いて、その上から静かに湯を注いでいました)、火を通し過ぎないように水に落として冷まします(水を落とす時にも、始めは落し蓋をした上から、静かに水を流しいれていました)。包丁の“みね”でうろこを取って水で洗い、水気を切ります。

6.ブリの皮目に切込みを入れます(味が入りやすく、日が通りやすくするため)。表面に小麦粉をつけ、余計な粉を刷毛で落とします(以上でやっと、焼く前の下準備が整いました)。

7.フライパンにサラダ油を熱してねぎを焼きます。真ん中が柔らかくなり、焼き色が着いたらねぎを取り出してサラダ油を足し、ブリの皮目を下にして焼きます(この時、先生はまず、皮目だけをフライパンにおいて皮に焼き目をつけ、次にブリの角度のある面を、フライパンの壁に立てかけるようにして、上手く表面が鉄板に接するようにしていました)。表面がパリッとしたら裏返して、両面に焼き色をつけます(この時、適度な焼き色がついていないとあとでたれの絡みが悪くなるので、きちんと焼き色をつけておくのがポイント)。

8.ブリに火が通ったら一度取り出し、フライパンを洗います(ここでフライパンを洗うのには、この後に入れるたれの調味料が焦げないよう、いったんフライパンの温度を下げる約割りもあります)。

9.洗ったフライパンにたれの調味料を合わせて火にかけ、焦がさないように弱火にして半量くらいまで煮詰めます。

10.ブリを戻しいれ、たれをすくいながらからめます。

11.白ネギもフライパンに戻しいれ、軽くたれをからめます。

12.器にブリを盛り付け、白ネギを盛り、針ねぎとわさびおろしを添えて出来上がり。

なるほど、霜降にする前におこなう塩と魚の下準備、ねぎの切り込みの入れ方やブリの霜降のときのお湯の温度、フライパンへの置きかた、小麦粉を打ったら刷毛で余分を落として、たれを絡めやすい状態にしておくことなど、それぞれの工程は、きちんと理にかなっています。

やや甘い照り焼きのたれをまとった油ののったブリには、さっぱりとしたわさびおろしがきれいにマッチすることでしょうし、針ねぎの食感や香り、軽い辛味が、よいアクセントになるはず…。基礎になる、地味な手順をひとつひとつふみながら丁寧に作った一品は、きっと満足のいく味わいになることでしょう。西洋料理のように平面的ではなく、立体的に、かつ余白を生かして料理を盛り付ける、器の空間の取り方も、まるで日本庭園のしつらえのような美しさです。

かくして、日本料理の盛り付けや、付け合せのバランス感覚に、改めて感心したのです。見た目はもちろんのこと、食感や香り、辛味と甘み、酸味などが、まるで精緻なアンサンブルのような、絶妙なバランスを醸している、といった印象でした(食べていないけど、想像で…)。

食材を大切に扱う料理人の方の姿勢には、ちょうど私たちクラシックの音楽家が楽譜を尊重するスタンスと同じものを感じ、親しみを覚えます。一鉢、一皿、一椀に食材への敬意や愛情を注ぎ込み、見た目にも美しく、どんなシンプルな素材も、技とセンスによって豊かな一品に仕上げていく日本料理って、やっぱりすごい!

かねてから、日本料理が『世界三大料理』に入らないのが理解できなかったのですが、無理もない気がしてきました。だって、こんなに高度で独特な“侘び・寂び”の美学を、他国のたくさんの方に支持していただくのは、いかにも難かしいことだと思いませんか?バッハやゴッホの素晴らしさが、当時の人々の理解や価値観を超えていたことを考えれば、納得できます。

なんでも簡単、お手軽が重宝されるこの頃ですが、体に入れるものは、音にしても食べ物にしても、高価なものではなくても“良い”ものを選んでいきたいものです。

2010年06月10日

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