第476回 雨の音楽

5月半ばを過ぎました。梅雨入り前の、とても気持ちのよい季節です。ベランダでは8年目のミニバラが満開、セージも美しい青紫の花をつけています。

でも、雨降りも嫌いではありません。雨が降ると楽器のコンディションは悪くなるものの、この時期の“おしめり”は、田畑の野菜やお米の生育にとってはとても大切なもの。雨上がりの匂いや、雨で埃がきれいに流された木々の葉の生き生きとした緑色に、気持ちが癒されるのを感じます。

とはいえ、湿気は楽器だけでなく、こと私のクセ毛には大敵な存在です。どこまでも広がって、湿気に反してなぜかぱさついてしまい、まとまらなくなるのです。同じようなクセ毛の悩みを持つ美容師さんが私の髪をセットしながら、「ほんっと、困りますよね~。もう、“あたし、ハゲないかな~”って、思わず髪の毛、抜いちゃったことありますもん」と、ぼやいていたことがあるのですが、内心「むむ?それ、髪を扱うプロとしての美容師さんの発言として、ちょっと差し障りがあったりはしないか?」と思ったものでした。

それはさておき、やっぱり雨の情景は絵になる…そして、歌にもなる!特に歌謡曲や演歌にはうってつけです。「そういえば、桜を題材にした歌はたくさんあるけど、梅の歌ってほとんど聞かないよね」今年の春、一緒に梅を見ながら、ふと友人がつぶやいたのを思い出しました。そういえば、そうです。短歌、和歌はたくさんあるけど音楽の方の歌はあまり聞いたことがありません。あんなに種類も表情も豊かで、いかにも歌詞に使われそうなのに、どうしてなんでしょう?あるいは、あまりにもゆかしく、繊細な風情がゆえに、メロディーに乗せて朗々と(?)歌われるのが、はばかられるところがあるのでしょうか。

題材にしやすい素材としづらい素材、って、あるのかもしれません。例えば、クラシック音楽には“水”をテーマにした作品はたくさんありますが、“雨”となるとけっこう絞られてきます。沖縄、奄美はすでに梅雨入りしているこの時期…せっかくですから、雨にまつわる作品の中で歌曲以外の、しかもピアノの絡んだものを、思いつくままいくつかご紹介してみましょう。

一番有名なものはショパンの『24の前奏曲』の第15番“雨だれ”ですが、こちらは残念ながら、ショパン本人が命名したタイトルではありません。曲中に、雨のしたたるような音が、絶え間なく聞こえてくることから、いつのまにかそのタイトルで親しまれるようになりましたが、楽譜にはどこを探してもその言葉の記載はありません(これは“小犬のワルツ”も同じです)。それから、ドビュッシーの『版画』というピアノ曲集の中の、“雨の庭”という作品。こちらは、降りしきる雨の向こう側に、幼い頃に聞いた歌のメロディーが立ちのぼり、ふと当時に時間飛行してしまうようなファンタジックな世界が、見事に写実的に描かれています。初めて聞いたときは、自分が雨のシャワーの中にいるような、そして、音を聞いているのか映像を見ているのかがわからなくなるような、不思議な感覚に陥りました。

変わったところでは、ハンガリーのコダーイによる、ピアノ小品集の中の“巷に雨の降るごとく”。これは勿論、“巷に雨の降るごとく/わが心にも涙ふる…”の出だしで有名な、フランスの詩人ヴェルレーヌの同タイトルの詩にインスピレーションを得て、書かれたものです(ちなみに、ヴェルレーヌと交友のあったドビュッシーにも、同じタイトルの歌曲作品があります)。1~2分で終わってしまう短い曲ですが、裏拍に鳴る簡素な和音の伴奏にのって、とぎれとぎれに、散文的に聞こえてくるメロディーはなんとも印象的で、一度聴いたら忘れられないような作品です。

それから、ブラームスのヴァイオリンソナタ第一番“雨の歌”。こちらはとにかく大好きな作品で、青春時代はもう、毎日のように何度となく聴いたものでした。これまでに何度か、実際に演奏する機会にも恵まれ、オリジナルのヴァイオリンとだけでなく、チェロとの編曲版も、コンサートで取り上げたこともあります。第3楽章に同名の自作の歌曲と同じメロディーがでてくることから、このような“愛称”がついたと言われているのですが、この“雨の歌”という歌曲は、ブラームスが秘かに思いを寄せていたシューマンの妻クララが、特にお気に入りの作品だったそうです。

そういわれてみると、この曲では、ヴァイオリンとピアノの二者が、あるときはそっと寄り添って静かに対話するように、またあるときは、激しい思いを抱きつつもそれを最終的には自分の中にしまい込んでしまうかのようにも、感じられる気がします。作曲の経緯の真相はわかりませんが、もしかしたら、ブラームスは巷で言われてるように、本当にこの曲にクララへの思いを託したのかもしれないな、なんて考えながら聴いてみると、作品の味わいも違ったものになるかもしれません。

他に、邦人作品もいくつかあるものの、歌曲からの引用でも第三者による単なる“愛称”でもなく、純粋に雨を題材にした作品は、やはり少ないような気がします。

九州・四国も関東地方もまだ梅雨入り前ですが、雨の日には部屋の中で、好きなお茶でもいただきながら、こんな作品に耳を傾けてみるのはいかがでしょう?曲の合い間に聞こえてくる雨音までも、音楽のように響いてくるかもしれませんよ。

2010年05月21日

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