第474回 ゴールデンな一週間
「いったい、どうなっているの?!あなたの希望の日にちは、どの便もすべて満席よ!」ウィーンの街中にあるルフトハンザ航空のカウンター。やや面倒くさそうな表情を浮かべながら一つ一つの便をチェックしていた窓口のフラウ(婦人)が私を見て、ため息まじりに言い放ちました。ようやく、春のぽかぽか陽気に街が包まれるようになってきた、ある日のことです。
嗚呼、それにしても、これで何社目でしょう。ルフトハンザの他、英国航空、フランス航空、アイタリア、スカンジナビア航空、日本航空…。何軒“はしご”しても、結果は同じでした。
「あの…ゴールデンウィークといって…。この時期、日本は特別な連休なんです。そうですか、いっぱいですか」「ごめんなさいね。何も力になれなくて…」「いいえ、いいんです。私も、こんなに早くから一杯になるものだなんて、考えてもみなくて…。どうもありがとうございました。」さっき面倒くさそうにみえたのは、チケットを確保して私を喜ばせたかったのに、なかなか空きが見つからない苛立ちからだったことが、このときの彼女の表情から見て取れました。肩を落として外に出る私。こんな時は、ヨーロッパの重厚な手動の(!)ドアが、いつもの二倍くらい重く感じるのでした。
ハンガリーのリスト音楽院に留学中のことです。ゴールデンウィークならなんとかお休みがとれそう、と、当時働いていた母が初めて、ハンガリーに(海外に!)来られることになったのです。ところが、母が日本で問い合わせたところ、どの航空会社の便も残席ゼロとのこと。それならばと、海外からの“家族呼び寄せ”航空券、なるものを獲得しようと、ハンガリーにある限られた航空会社を当たってみたのですが、やはり収穫なし。インターネットはまだありませんでしたし、国際電話も不便なところでしたから、いっそのことと思い、ウィーンまで出かけて(ブダペストからは、バスで片道約3時間。余裕で“日帰り”できるのです)のトライアルでした。でも、やはり日本からの便はすべて満席でした。
その当時のハンガリーはまだ社会主義でしたが、ブダペストは想像を大きく超えるほど美しく、それはそれは素晴らしいところでした。海外を知らない母に、是非とも見せてあげたい、案内したい…。そう夢みながら、せっせと町の様子やら私の生活について、レッスンで教わった内容や日常的な出来事を、こまめに手紙にしたためては、せっせと母に送っていました。
結局母をハンガリーに呼ぶことはできないまま、私はその翌年にはアメリカに渡ってしまいました。その後、母は父と二人でハンガリーを含む東欧諸国をツアー旅行しましたが、私が案内をする機会は未だにないままです。
ゴールデンウィークというと、今でもその時のことを思い出します。そしてルフトハンザのカウンターで担当してくれた婦人の、あの表情が浮かぶのです。交通機関や道路だけでなく、お店や公園、美術館…。すべてが混雑するこの時期は、ここ数年はなるべく近場でおとなしく過ごすようにしています。
それでも、今年はたくさんの楽しい出来事に恵まれました。地元八千代市ゆりのき台のつつじ祭(友人のお店が主催の寄席も見て、大満喫!)や、友人たちとの川べりでのバーベキュー(豪華炭火焼きに、満足大盛り!)、大学時代からの親友との数年ぶりの再会や新しいメンバーとのリハーサル。そして、久しぶりにルービンシュタインのショパンをたくさん聴く機会もありました。
それは、文句なく“上手”な演奏でした。何が特別、ということではないけれど、それでいて、名人だけにしかなしえない種類のものでした。毎日食べても飽きないごはんのような、お味噌汁のような、“超定番”だけが持ちうる普遍性を感じました。
「美奈さん。僕は、“究極のコロッケ”を目指したいんですよ」ふと、空間デザイナーのTさんが、コーヒーカップを片手に熱く語っていたことを思い出しました。いくら良質なものでも、お高すぎてしまっては結局根付かないし、親しまれるものでなければ意味がない。しかも、それは身近に手が届くところにあることが大切なのだ、と、彼は話してくれました。「食べたくなったらいつでも買える。いつもあって気軽に手に入るけど、その店ならではの満足が必ず得られる…。そんなものを提供していきたんです」デザインは特殊なものだ、というイメージを取り払い、もっと皆に楽しく、気軽に取り入れてもらいたい、そんな彼の熱意が、びしびしと伝わってきました。「わかる!クラシック音楽だって、同じですよね」…今でも彼は、よき“心の同志”です。
かくして、大好きな友人たちと楽しい時間を過ごしたり、ハンガリー時代に思いを馳せたり、大切なことを再認識したり…。遠くには出かけなかったけど、終わってみるとまさにゴールデン・ゴージャスな一週間でした。