第472回 “晴耕雨読”のこころで
「今、そこの公園を通ってきたら鳥たちの鳴き声がすごく響き渡っていて…まるで、ヨーロッパの深い森の中に迷い込んだみたいだったんですよ!あんな響き、初めて聞きました…」ある日、レッスンにいらした私よりも年上の生徒さんが、開口一番にそうおっしゃいながら、少女のように頬を高揚させてレッスン室に入ってきました。「桜、まだきれいに咲いていますね!」「今日は外、すごく風が冷たくて…手袋してきたのに、手がこんなに冷たくなっちゃった!」
4月の中旬なのに雪が降ったりと異常な気象が続いていますが、レッスンにいらした生徒さんが口々に、生き生きと“季節のあいさつ”をしてくださるのが嬉しくて、それを聞くのが密かな楽しみになっています。
今の住居は駅の近くなのですが、駅からの1~2分歩く間に桜の美しい公園があったり、ちょろちょろと水が流れる噴水があったり、鳥の鳴き声の絶えない林があって、ハナミズキやツツジ、コブシなど季節の花々が楽しめる遊歩道に面しています。
「できれば、アクセスしやすいだけでなく、うちにいらっしゃる生徒さんやお客様が、道すがらなんとなしに自然を感じて、リラックスして好い気持ちになってくださるようなところに居を構えたい…」と、かねてから願っていたのですが、今のマンションはそんな私の希望にぴったりだったので、一目で気に入って契約しました。
難を言えば、レッスン室にしっかりと防音工事を施したところ部屋がもとの3分の2ほどの大きさになってしまい、大きなピアノを入れてかなり窮屈になってしまった、ということ。この2倍ほどの大きさがあったら言うことないのですが、まぁ贅沢をいえばきりがありません。
ですから、玄関先で生徒さんからそんなお話をしてもらえるのが、とても嬉しいのです。楽器の演奏には、気持ちのコンディションを整えることも、思いのほか重要だったりするからです。養分をたっぷり含んだ柔らかい土に作物がよく育つように、心も身体もほぐれている状態なのかそうではないのかによって、レッスンの吸収も違ってくるのです。
でも、だからといって、常によい気持ちでいなければならない、ということではありません。何もかもが上手くいかないようなやりきれない気持ちになったり、激しい自己嫌悪に陥ったりすることも、人間の特権です。涙にも、嬉しい涙、悲しい涙、悔しい涙…と、いろいろあるように、楽譜上のフォルテやピアノにも、数え切れないほどたくさんの種類があるのです。
ですから、様々な感情を抱いたり、色々な感覚を研ぎ澄ませることは、音楽の語りべにとってとても大切な勉強の一つなのだ、と自分にも言いきかせて、つらい時も楽しいときも、素直に味わうように心がけています。『晴耕雨読』じゃないけれど、その時その時の状況や感情に逆らわず、あるがままを受け入れながらも前を見据えて生きていけるちからを身につけていけたら、どんなにいいでしょう。
このところ、各地でコンクールの課題曲について、ピアノの先生方を対象にその指導法や演奏法についてのレクチャーをする機会が重なっています。先生方にお話しするにつけ、音楽を生徒さんに伝え、教えるということは、そんな“人間力”のようなものを学び取ってもらうことに他ならないのではないか、という気がしています。楽譜を誠実にとらえて音楽を感じ取り、読み解き、表現することは、自身を見据え、自分の生き方を模索し、人生を生き抜くことに他ならないのではないかと思うのです。
「美奈子先生のところにレッスンに伺わせていただくようになって、ピアノを弾くのがまた、楽しくなってきたんですよ」。まだまだ未熟な私ですが、人生経験の上では先輩の、ピアノの先生をしていらっしゃる生徒さんに、こんなふうにおっしゃっていただいたのも、大きな励みになっています。
さて、来週は岩手県の宮古市、釜石市で、それぞれコンサートとレクチャーが予定されています。移動スケジュールの関係で、今回は大好きな山田線(JR)に乗れないのが残念ですが、美しい三陸海岸との再会が今からとても楽しみです。