第457回 贅沢なひと時を
2010年が明けました。皆さま、おめでとうございます。
一年の計は元旦にあり、といわれますが、元日こそはゆっくりと起きて、ゆっくりと支度をして…いつもよりものんびりと(ぐうたらに?)過ごしたい、というのが、ほとんどの大人の本音なのではないでしょうか。
でも、頂いた年賀状に一枚一枚じっくり目を通したり、久しぶりに集まった家族ととりとめもない話をしたり、一緒に初詣に出かけたり、特に見たくもないテレビ番組をぼ~っと見ながらのどかに過ごす元旦が一年の計、というのであれば、それはそれで贅沢なことだと思います。今となっては、そんなふうに一日を過ごすこと自体が日常では困難になっていますし、特に何もしないでのんびりと過ごす、という贅沢を、私たち日本人はもっと享受してもいいような気がするのです。
ふと、思いました。贅沢って何なのでしょう。もちろん、お金を出して得られるものにも贅沢なモノはたくさんあります。でも、一番の贅沢は目に見えるモノよりも、目には見えない豊かな“時間”なのではないかという気がしています。音楽のような、まさに目には見えない(見えにくい)ものに憧れてやまないのは、そのせいなのでしょう。
目には見えないものなだけに、その良さは実感しにくいものかもしれません。例えば、あるひと時を心から「なんて素敵なんだろう!」と感じられれば、その時間はその人にとって、とてもかけがえのない幸せなものになりますが、「なんて無駄なんだろう!」と感じたら、その時間は豊かさとは程遠いものになってしまいます。
そういえば、「好きな時間まで寝ていられるなんて、贅沢なことよね」とか、「お昼からちょっとお酒飲める時なんて、これぞ休日っていう感じで最高に贅沢な気分」なんていう声を、よく耳にします。外でお弁当をひろげて、きれいな景色や美味しい空気と一緒に味わう時も、「贅沢よね~!」というコメントが聞かれたりします。
何を贅沢だ、気持ちがいい、と感じるか、といった個人的な感覚は、芸術に親しむにあたってとても大切なものなのだという気がしています。
そもそも、芸術とは、それをいかに理解できるかが重要なのではなく、あるアーティストの表現や提案に対して、それをどう感じるか、受け止めるか…を、人に問いかけるためのツールなのだと思っています。中には、必ずしも美しい、正しいとは限らないものをあえて提示して、「あなたはこれを、どうとらえますか?」と、問いかけるような種類のものもあります。禅問答のような性格を持つようなものも、あります。つまり、分かりやすい内容のものばかりとは限りません。
その結果、正解が一つではなかったり、正解が存在しない場合すら多かったりもするのですが、それはそれで、構わないのです。場合によっては、個々の考え方の中に、正解以上の価値があったりもするのです。
音楽や、芸術に対して、いつまでも飽きることなく、むしろ年々興味と愛着が深まっていくのは、そんな“個”のとらえ方や感覚をどこまでも受け入れる、懐の深さに惹かれているからなのだと思います。
「最近は(芝居にしても映画にしても)なるべく時間とお金をかけず、効率良く作ろうとするようになりました。お金を出す投資家の人も、早く資金を回収しようとする。しかし、そもそも芸術は経済効率を無視したところから出発するものだし、文化ほど非効率なものはないのです」仲代達矢さんの言葉が、元旦の某新聞に紹介されていました。
「そのことを身をもって体現した黒澤(監督)さんの生き方を、その薫陶を受けた僕たちが、次の世代に引き継がなければならないと思っています」
経済の低迷や社会不安が叫ばれる中、音楽という、まさに“経済効率を無視した”分野に、戸惑いつつも長いあいだかかわってきた私の心に、仲代さんの言葉はとても深く響きました。同時に、強く励ましていただいたような気がしました。
目にはみえなくても、心が感じる本当の贅沢を、ほんのひと時でも提供できるアーティストを目指して、一歩ずつ、精進していきたいものです。音楽と向き合っていられる贅沢に、感謝しながら…。
今年も、どうぞよろしくお願い致します。