第445回 幸咲か婆さんに
久しぶりに、出身校の二女高(宮城県第二女子高等学校)時代の友人や先生方とお会いする機会がありました。仙台市内のとあるホテルで行なわれた同窓会総会には400人もの方々が集まって、その愛校心たるや、今時にあって稀有なものが感じられました。
来賓の先生方の紹介の時には、誰からともなく「○○先生~!」と、黄色い(?)掛け声がかかります。そう、この高校はユニークなことに、在校当時から先生によく生徒からのラブコールがかかる学校だったのでした。女子高なので、先生は貴重な(?)異性でしたし、また、素敵ななおじさまぞろいだったので、ちょっとしたアイドル的存在でした。生徒たちはよく学び、よく笑い、よく師を尊び(?)…そんな我が校は、巷では“お花畑”とも言われ、「嫁さんをもらうなら二女高卒業生」とも謳われているほどです。
実は、ちょっと心配していたことがありました。「美奈子ちゃん、痩せたのね~」と、言われたくなかったのです。私事で恐縮ですが、離婚の前後で体重が随分落ちてしまい、高校時代からすると一時はなんと、15キロ以上も減ってしまったのです。
ちなみに当時の私は、かなりぽっちゃりはしていましたが、体重の数値としては一応標準の範囲内。下半身はどっかりとして、太もももふくらはぎもとっても立派なものでしたが、「ピアノ弾きは腰(下半身)が命!見よ、この安定感たっぷりのおしりを!」と、むしろ誇らしく(?)思っていましたし、「カロリーなんて言葉、知らない。大体、数字は苦手なの」とばかりに、一向にそれを気にすることなく、毎日美味しいドーナツやアイスクリームを享受していました。
健康的に余計なもの(脂肪とか?でも、実はある程度の脂肪も、大切なんだそうですね)のみを“落とす”ならまだしも、私の場合は気持ちの不安定さからなんとなくずるずると“落ちて”しまったので、恐らく健康上あまり好ましい状態ではなかったと思います(不具合の自覚はありませんでしたが…)。青春時代、一緒に歌って踊って、早弁した友達に心配されるような様子に見られては…と、実はこの会への参加を決めた頃から、少しずつ体重を増やす作戦をたてていました。その甲斐あって、この約二ヵ月半ほどで5キロの体重増と相成りました。
同期生は30数人。その中には、年に何回か会っている親友もいましたが、中には四半世紀ぶりに(!)再会する友人もいました。果たして、皆の反応は…?「美奈子ちゃん、キレイになったね!」うう、こ、これはお世辞でも嬉しい!もし、体重が前のままだったらきっと怖れていた「痩せたね~。体の方は大丈夫?」というコメントをくらっていたことでしょう。
ちょっと待って!「痩せたのがいやだとか、もっと太りたいとか、キレイになったとか、まぁ、なんて感じ悪いんでしょ」なんて、どうかどうか、おっしゃらないで下さい。痩せていた時にせつに実感したのですが、“華奢”が似合う可憐な女性ならいいけど、私のような豪傑な(?)キャラクターがただ“細っこい”のはあまりいいものではないと思うのです。外国人男性は明け透けなので、「君は"thin"だね」なんて、言われてしまったことがあります。thinというのは、確かに、“細い”という意味ではあるのですが、スリム、という言葉とはまた違って、“薄い”“丸みがなく、肉がない”ひいては“貧弱な”“みじめな”というニュアンスを含むことがあります。そう、「君、ぽっちゃりしてるね」の方が、それより何倍も素敵な褒め言葉なのです。
ですから、日本で「細いね」と言われても、頭の中に“thin”という言葉が思い浮かび、決して嬉しくありませんでしたし、ちっとも太っていないのに、皆が痩せよう痩せようとするのが理解できませんでした。おだやかな丸みがあって、母性的な体つきをしている女性を見ては「いいなぁ…」と、ため息をついていたほどです。それでも、深層心理で(?)食欲に変なセーブがかかってしまって、知らず知らずに食べ物を遠ざけてしまう…。とても軽い症状ではありましたが、もしかしたら“接食障害”をおこしかかっていたのかも知れません。
周りの方に一時は心配をおかけしてしまいましたが、ようやく私も、憧れの女性的な体型に一歩、近づくことができました。この歳からさらに体重が増え続けたらどうなることやら、よく分からないのですが、まぁそれでも”thin”と言われるよりはずっと嬉しいことです(ただ、急激に増やしてしまったからか、ちょっと階段の上り下りが辛くなってきたのには、閉口しているのですが…)。
高校時代の音楽の恩師、H先生に会いました。「「いや~。僕も“末期”高齢者になってしまってね~」という言葉とは裏腹に、70を越えた今でも矍鑠としてダンディーなご様子はまったくお変わりなく、いたずらっぽい表情で「実はね、最近“陸上”を始めたんだよ」なんておっしゃる…。
私に「いやだったり、演奏活動との両立が大変だったら一年で辞めてもいいから、是非うちの高校で非常勤講師として教壇にたってもらいたい。あなたは必ず、いい先生になるから。生徒にとってあなたに教わるのは、最高に幸せなことだと思うんだよ」と、未熟な私の可能性を信じて、教えることへの道を開いてくださったのも、H先生です。今、ピアノの先生方への講座や様々なレクチャー、そして昨年から始まった“大人のための音楽塾”などで、皆さんに楽しんでお話することができるのも、この学校での10年に及ぶ非常勤講師という経験が大きく生きていると思います。
“thin”を卒業し、H先生のように温厚でおちゃめで、いつもたくさんの人に囲まれ、生き生きと輝いているチャーミングな老人(老人、という言葉はどうもしっくりきませんが)になりたい…。よし!体重に比例して、これからはどんどん幸せレベルもパワーアップさせていくぞ!そして、ハピネス(幸福)を周囲の人にプレゼントできる、“幸咲か婆さん”になるのが、究極の夢です。