第439回 “自然人”でいよう

少し前に、このあたりは一時的に激しい雷雨に襲われていました。改めて感じるのは、自然の力の強さです。天空で放電現象が起こり、瞬間的とはいえ闇を照らすに余りあるほどの強い光を放つ、稲妻。そして、あの雷の轟きは、放電の際に放たれる熱量によって、雷周辺の空気が急速に膨張して、それが音速を超えた時におこる衝撃波によるものなのだとか。

地球自体からではなく、空と空の間から…しかも電子の力であんな轟音が鳴るなんて、考えてみたらものすごいことです。日本神話でも、雷を“神鳴り”として、神さまのなせるものだと考えられていたことがあったそうですが、納得です。だって、それが誰かの仕業ではなく、自然に起こる現象だなんて、とてもイメージができないもの。

自然の音というといくつか思い浮かびますが、よく考えてみたら波の音も地鳴りも雨の音も、地球の中、あるいは地球と何かの“接触”によるものがほとんどです。やはり雷は、特別なものです。子供が怖がるのも、無理もありません。子供の頃の夏休みを想い起こすと、よく父の田舎でひどい雷雨にあって、雷の音や稲光を怖がりながらもキャーキャー騒ぎ立てて遊んだことが思い出されます。本来、恐ろしいものを面白がっていられたのは、家族が近くにいたから、そして家の中で、守られていたから。同じ自然現象も、自分の置かれている状態によっては、感じ方、受け止め方はがらりと変わるものです。

生きているものたちは、そんな自然の大きな力とつねに一緒にいることになります。あるいは、私たちは自然によって“生かされている”とも言えるのかもしれません。だから、自然の気持ちよさ、美しさを感じると心から癒されたり、リラックスできたりするのでしょう。

音楽は自然現象ではなく、人の手によって創作されるものですが、そこに自然の中の時間の流れやリズム呼吸…といったものが大きく反映しているところが、他の芸術と異なる点です。もちろん、絵画にもモチーフや色彩のリズムは存在するけれど、視覚ではなく、聴覚というもっともっと動物的かつ感覚的なものにうったえて、それを強く感じることができるのは、とてもユニークだと思うのです。

特に面白いのは、時間の“流れ”。よくレッスンで生徒さんに、半分冗談めかして「ほら、またテンポが重くなって、流れが滞ってきていますよ。音楽と血液は流れてなんぼ!意識して…」なんてお話しするのですが、地球には「一年に太陽一周」とか「一日で一回転」といった時間のリズムがあるので、時間の流れの中に、3拍子、とか4拍子、といった規則的な律動や一定のテンポを感じたときに、私たちはなんだか心地よさを覚えるのだと思うのです(それをノリ、と表現する人もいますね)。

“自然児”というおかしな言葉がありますが、もともと人間は大人も子供もみんな“自然人”なのではないでしょうか。

だから、いくら心地よいモーツァルトでも、その人が置かれている状況がそれを愉しむのにふさわしくなかったら、ちっとも気持ちよく響かないのは当然です。せっかく音楽を聴くのであれば、お茶を入れたり、許されるのならお酒を用意したりして、目の前のものをちょこっとだけこざっぱり片付けて(!)、ゆったりとした気分になってから…などなど、気分や雰囲気も大切にしたいものです。

私自身、運転をしたり、食事をしたりし“ながら”、音楽を聴くのが好きではないのは、そういう理由もあります。せっかく聴くのに、全身全霊でゆったり味わえないなんて、なんだか勿体ない。…それは私にとっては、納豆を食べた直後、まだそのねばねばと匂いが残っている口の中に、誤ってラ・メゾン・デュ・ショコラのボンボン・ショコラを、ぽいっと放り込んでしまうくらい、哀しいことなのです(注:納豆自体は大好きです!)。

そういえば、子供の頃、大好きだったショパンの曲を、夜部屋の電気を消して聴いてみたら、聴こえてくる音楽が明らかにいつもと違って感じられ、驚いたことがありました。以来、ピアノの練習をしているときにも、たまに思いついては手元が見えなくならない程度に電気を落として弾いてみるなど、妙なことを試みたりしました。目に見えない(見えにくい)と、見えない分を他の部分が補おうとするからか、感覚が研ぎ澄まされ、それまで気づかなかったことにハッとしたりするのです。

先日もレッスンで、上手くアコード(和音)の響きが得られないで苦戦していた生徒さんに「じゃ、力を抜いて…一回、目をつぶって弾いてみてごらん」と促し、試してもらったところ、たちどころに彼女のイメージどおりの音になって、弾いていた本人が「わ~っ、全然ちがう!」と、思わず歓声をあげたことがありました。

いろんな音を心で聴いて、いろんなものを感覚で味わえるよう…。いつも、ニュートラルで心おだやかな、よい状態で過ごしたいものです。

あ、そうそう。ごく最近、そんなニュートラルな状態で(と、いえば聞こえがいいけど、要はボ~っとして)電車に乗っていたところ、とある雑誌の中釣り広告に「30代女子のモテ系ワンピ」というフレーズを見つけました。30代って、まだ“女子”でよかったのでしょうか?だったら、40代のワタクシも便乗して“女子”を名乗りたいんだけど、それは許されないのでしょうか。そもそも、ボーダーはどのあたりなのでしょうか。むむむ。

2009年08月07日

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