第429回 てくてく歩きのドイツ日記 ① ~旅立ち~
5月19日。例の新型インフルエンザの影響か、成田はかつて見たことがないほどガラガラ。チケッティングの時に荷物を計ったら、なんと、入れ物込みで6キロしかなかった。少ないのはいつものことだけど、これは最少新記録かも…。それにしても、出国手続きに並ばないで出国できたのは、初めてのことかもしれない。機内も空席がたくさんあるのかな、と思いきやそこそこのお客様で、なぜかちょっとホっとする。
機内で、『善き人のためのソナタ(原題はDas leben der Anderen)』という映画をみた。壁が崩壊する5年前の東ベルリンを舞台にした、自由を模索するある劇作家を監視するよう命じられたひとりのシュタージ(秘密警察)局員の物語。彼が劇作家との接触を通して、本来の人間らしさや魂の息吹に心を動かされていく経緯が、淡々と、でもとても強いメッセージ性をもって描かれていた。ヨーロッパの映画は、もともとイタリアやフランスよりもチェコやドイツのものが好きだったのだけど、こんなに感動的な作品にはめったにめぐり合えないものだ。それにしても、映画を見て泣いたのは、本当に久しぶり。気持ちが開放されているからかもしれないが…。
歴史というものは、人間が数々の過ちを侵した中から、一つひとつ、苦しみとともに積み重ねられているものなのかもしれない。でも、苦しみから何を学び、それを今後にどういかしていくのか、を見出せたとき、苦しみはもっとも人間らしい、前向きで健やかなる魂に昇華するのだ。そうやって積みかさねられた歴史だからこそ重みがあるし、それをふまえることが大切なのだろう…。映画をみて、そんなことを考えた。
12時間もかからずに、フランクフルトの空港に着く。話には聞いていたが、誰一人マスクをしてはいない。勿論、検疫もなし。手荷物のみなのでバッケージクライムもないし、あっけないほどスムースに入国審査を通りぬけ、予定していたものよりも一つ早い新幹線(IC=インターシティ)に乗れた。日本で、変更不可能の“早割り”チケットを取っておかなくて、よかったよかった。
エスカレーターで、いつものくせでつい、左側に立ってしまったら、後ろのおじさんに「右だよ!」と言われた。慌てて右に移動して、ありがとう、と言おうと振り向いたら、おじさんは満足そうに、えらくニコニコしていた。ドイツ人は規律に対して誠実なのだと聞いていたけど、本当なんだな。
フランス旅行の時もそうしたように、今回も空港のあるフランクフルトには降り立たず、空港から新幹線に乗って、一気に地方へ移動することにしている。そういえば、日本はそんなことができる町はない。例えば成田空港や羽田空港から直接新幹線に乗れたら、とても便利になるのに。それでなくても、乗り換えの複雑な日本…もし空港に新幹線が乗り入れていたら、外国人もずっと行動しやすいのではないかしら。
となりのホームのミュンヘン行きは、えらくカッコいい最新の車両だけど、我がドレスデン行きの車両はかなり汚れていて、旧式な印象。ふと、ハンガリーの“オリエントエクスプレス”を思い出す。名前のイメージからは程遠い、古くて可哀そうなほどぼろぼろの列車だったなぁ。私は東へ向かうのだ、と改めて実感。もっともっと東から来たのだけど。
それでも、乗り込んでみると「さすがドイツ!」というしつらえが目に飛び込んできた。自転車をくくりつけるスペースが、ふんだんにあるのだ。それはたまたま“自転車装備付き車両”だったのだけど、それにしてもすごい。ドイツの人々は自転車をとてもよく利用するとは聞いていたけど、さすがにエコロジー最先端の国だ。ずらりと並んだ、がっしりとした自転車用の装備をみて、「よーし、私もできるだけ、歩くぞ!」と、心に誓う。
今回は、一般に“ゲーテ街道”と呼ばれているコースをめぐる旅。具体的には、アイゼナハ、エアフルト、ワイマール、ライプツィヒ、そしてドレスデンという町々を訪ねることにしている。最初の訪問地、バッハのふるさとアイゼナッハまでは一時間ちょっとだった。駅から宿まで、もちろん歩く。でも歩き足らなくて、チェックインした後、また外に出る。時刻は午後7時を過ぎたところ…。まだまだ、暗くなる気配がまったくない。一時間は散歩を楽しめそうだ。
散歩、というのは、ヨーロッパの人にとっては、単なる運動だけではない気がする。何しろ、ベートーヴェンが楽想を得たのも、ゲーテが詩を読んだのも、散歩中なのだ。あるドイツのピアノの先生は、「うまく弾けなかったら、お散歩しなさい。じゃなければ、チョコレートを食べなさい。だって、どちらも楽しいことでしょう?」気持ちを整え、気分を高めることも、大切な芸術行為なのだ、ということを、彼らは身を持って感じているのかもしれない。
かくして、「よーし、歩くぞ~!」と、再び妙な向上心?に燃えて、時差ボケも気にせずに、てくてく歩いた。このときは、この「歩くぞ~!」という決意(?)が、次の日にどんな悲劇をもたらすことになるか…なんて、考えもしなかった。
(てくてく歩きのドイツ日記 ② に続く)