第424回 若きミナコの憧れ
小さい頃から本が大好きでした。今思うと、“読書”よりも本、そのものが好きだといった方が正確なような気がします。本の匂いや紙のさわり心地、それぞれの装丁などをめでながら本を手に取っていると、なんだか気分が落ち着くのです。両親の田舎に帰省したおり、祖母に「ミコちゃんに本を買ってあげるから、好きなものを一冊選びなさい」と言ってもらおうものならもう嬉しくて、一時間でも半日でも(?)本屋さんに入り浸って品定めをしたものでした。
図書館も大好きでした。本屋さんと違って、あれこれ好きなだけ手にとってどれだけ立ち読みしても怒られないし、私の好きな古い本の匂いがすることもあって、せっせと通っていました。
小学校高学年にもなると子供が読むようなものだけでは飽き足らなくなって、文学作品にも手を伸ばすようになりました。ピアノを習っていましたし、クラシック音楽の世界に尽きぬ魅力を感じていたこともあって、海外の文学への興味もだんだんふくらんで、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』だの、シラーの『オルレアンの乙女』、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』やブロンテ姉妹の『嵐が丘』『ジェーン・エア』などなど、とにかく読みあさりました。そして、その中に描かれている、日本とは明らかに違うであろう風景や、生活習慣、料理、風俗を想像しては憧れに胸をふくらませて、「いつの日かこういう国々に行って、どんなところなのかこの目で確かめたい!」と夢みていたのでした。
もちろん、日本の文学も好きでしたが、こちらは海外のものと比べてあまりにも多いので、乱読のあまりに、よく分からないものに出くわして、困惑することもありました。何も知らずに、池田大作氏の『人間革命』を借りて読んでしまい、内容を理解できず、頭の中が今ひとつ整理できないことを人知れず悩んでいたことも、今となっては笑い話です。
大学に入り、フランス革命の直後、ラ・マルセイエーズのメロディーでドイツの学生に歌われたシラーの詩『自由賛歌』に、加筆修正を行って『歓喜に寄せて』となった詩をベートーベンがさらに手直しして、あの有名な第九交響曲第四楽章“歓喜の歌”の歌詞にしたことを知りました。ベートーヴェンはフランスの自由主義に傾倒していた部分もあったので、博愛精神や平和を求め、愛することの歓びをうったえるシラーの詩に、はっとするものがあったのでしょう。
また、当時大好きだったリストのピアノソナタが、ゲーテの戯曲『ファイスト』にインスピレーションを得て書いた、と知って、ボリュームたっぷりのその戯曲を熱心に読んだこともあります。なるほど、『ファウスト』を読んでみたら、あの約30分にわたって楽章の切れ目もなく演奏されるリストの大作の中に、主人公のファウスト博士や悪魔メフィストフェレスなどの人物そのもののような、強烈なキャラクターをもつテーマが聞きわけられて、リストの単純明快な(?)性格と、それらを破天荒なピアノソナタに強気で構築していく彼の、音楽家としてのど根性のようなものにちょっとだけ親しく触れられたような気になって、嬉しくなったことを覚えています。
文学と音楽。今も、その両方とも大好きです。でも、思春期の頃から心惹かれていたゲーテ、シラー、バッハ、ベートーヴェン、リストといった人々が、皆ドイツ、という共通項で結ばれるのは、何かの偶然でしょうか(リストは自称ハンガリー人でドイツ人ではありませんが、ドイツ語を母国語としていましたし、ワイマールにながく住んでいたこともあるのです)。
ゲーテゆかりの町々をつなぐ線は“ゲーテ街道”と呼ばれ、今ではロマンティック街道、メルヘン街道などと並んで人気の観光ラインなのだそうです。今では、というのは、ゲーテ街道にはワイマール、ドレスデン、ライプツィヒなど、旧東ドイツの街が入っていて、東西ドイツが統一される前は、そうおいそれと訪れることができなかったからです。
そんなわけで、ゲーテ街道はフランクフルトを拠点に東に伸びているのですが、その沿線には他にも、『若きウェルテルの悩み』の舞台で、カメラ好きにはたまらない、あのライカ社の本社のあるヴェッツラーや、バッハの生誕の地アイゼナハ、カメラレンズの名品、カール・ツァイスの工場を擁するイェナ、風光明媚な古都エアフルトなども並んでいます。磁器の宝石とも謳われている有名なマイセンも、ドレスデンからは目と鼻の先。ゲーテとシラーの二人像が目抜き広場に鎮座するワイマールには、ゲーテの家はもちろん、リストの家、個人的に気になるバウハウスの博物館もありますし、メンデルスゾーンを生み、バッハがカントールを務めたトーマス教会があるライプツィヒのゲーテゆかりの居酒屋の前には、まさに『ファウスト』のファウスト博士や悪魔メフィストフェレスの銅像まであるそうです。
そんなゲーテ街道のあるドイツは、5月から約一ヶ月、ホワイトアスパラの季節を迎えます。何事も秩序正しく国によってとり決められているドイツらしく、ホワイトアスパラの解禁期間は法によって定められているのです。その限りある期間中、ドイツの人々は旬のホワイトアスパラに舌鼓を打ち、ビールを飲み、歌を歌い…。「食べるために生きている」グルメ国民と名高いフランス人すらも、その情熱(?)には参りました…という雰囲気になるほどに、ホワイトアスパラと美しいドイツの春を謳歌するのだとか。
そんな季節に、一度でいいからゲーテ街道をぶらりと旅してみたい…というのは、随分前からの夢でした。それがいよいよ来月、叶おうとしています。
現地では、たくさんの音に耳を澄ませ、いろんな匂いをかぎ、目に見えないものを感じ、そして、土地ならではの素朴な食べ物を味わいたい…。さびついたドイツ語を、少しずつリハビリしているこの頃です。