第423回 耳をすませば幸せが…
クラシックに限らず、よい音楽は何でも大好きですが、いつでも大歓迎、というわけにはいきません。好きすぎるから(?)か、音が鳴っているとそちらに神経を集中させてしまうクセがあるようなのです。どうも私にとって、音楽は“聞く”というよりも、つい“聴き入って”しまうものなので、勉強しながら、あるいはこんなふうに文章を書きながら音楽を聴く、ということはまずありえません。もともと“ながら”は下手ですが、とりわけ“ききながら”が苦手なのです。
大好きな音楽ですから、聞きたい気持ちのときにだけじっくりと味わいたいのですが、特に日本ではそんなことは許されません。一歩外にでようものなら有無を言わさず、ところ構わず常に音楽(あるいは音)に追い回されつことになります。スーパーマーケットやホテル、レストランなど建物の中はもちろんのこと、この頃はアーケードを歩いていてもスピーカーから音楽が流れてきますし、驚いたのは、ある有名な滝を訪れた時、滝つぼまでの遊歩道でも、スピーカーから音楽が流れていたこと。せっかく、次第に近づいてくる滝の音を楽しみたいのに、個人的には大迷惑な演出でした。
ながらが苦手なだけに、このように、常に“音楽を聞きながら”行動することを強いられるのには、ちょっとストレスを感じてしまいます。一体いつ頃から、こんなふうにいつでもどこでも、惜しげなく音楽が流れるようになってしまったのでしょうか。
もし、これが音楽ではなく、人工的に作られた花のにおいだったら、皆どんなふうに感じることでしょう。例えば、沈丁花の時期に、あえて金木犀のお花の香りを外で嗅ぎたい、という人はいないと思うのです。それが、商店街を歩いていたら、スピーカーならぬ、どこぞに仕掛けられた排匂溝(?)のようなものから、容赦なく金木犀の香りが漂ってくる…。
もちろん、金木犀の花の香り自体は素敵なものです。でも、花の姿もなく、ましてや季節も違うのに香ってきたら…ましてや、季節の、他の本物のお花の香りがしているところに匂ってきたり、レストランで柚子の香りのお吸い物を頂く時に、金木犀の香りが漂ってきたりしたら、「ちょっと不自然」「必要ないのでは?」という、声があがることでしょう。
少なくとも、もしもそんなふうにほとんど常に、なんらかの匂いを嗅がされたりしたら、まもなく嗅覚が麻痺して、匂いに対する敏感さはどんどん失われていくことは目に見えています。桜の木の下に立って、風に運ばれてくるほのかな桜の匂いを嗅ぎわけ、「あ!?」と、ひそかに感動する楽しみは、まず奪われてしまうことでしょう。
「見る」ものだったら、目をつぶったり、そむけたりすることができます。でも、耳や鼻は詰め物でもしないと、対処することが出来ませんし、第一、鼻はものを詰めたら呼吸ができなくなるし、耳だって、よほど高性能な耳栓じゃないと、完全に“無音”状態にはなりません。困ったものです。
もしも、このように、世の中にやたらめったら人工的な音や音楽が溢れていなかったら、私たちの聴覚はもっと研ぎ澄まされ、音楽に対してもさらに深い感慨や、新鮮な感動を抱くことができるようになっていたかもしれない。いいえ、間違いなく、そうだと思うのです。少なくとも、音の響きと空気の湿度、あるいは風向きの関わりについて興味をもったり、何かの音を聞いてその余韻を追いかけてみたくなったり…。音に耳を澄ませ、感覚を研ぎ澄ませ、体中で音楽を聴くことで心が満たされる幸せを、もっともっと味わうことができることでしょう。そう思うと、なんだかちょっと残念な気持ちになります。
そういえば昨日、朝窓を開けっ放しにしていたら、いつももう少し遠くから聞こえてくる鶯の声が、とても近くから聞こえてきました。その声の方向から、「多分、あのあたりかしら。でも、人間に対して警戒心が強くて、なかなかその姿を見せてくれない鶯のこと…そう簡単には、会えないんだろうな」とは思いつつ、忍者のように息を潜めて植栽のしげみの中に目を凝らしました。
すると、声の方向から見当をつけたどんぴしゃりの場所に、鶯がいたのです。枝の間の、実に見えにくい場所ではありましたが、目の周りにちょっと特徴のある、まるっとした胴の可愛らしい鳥の姿が…。彼はさらにその場所でもうひと鳴きしたあと、私と目を合わせることもなく、ふわっと飛び立っていきました。ちょっと幸せを感じた瞬間でした。
「昨日、アブラゼミの鳴き声が聞こえたの!」…今日、レッスンに来てくれたピアノの生徒さんSちゃんが、帰りがけに、瞳を輝かせて教えてくれました。「え~っ!もう?早すぎよね~?」そう答えながら、子供たちの耳や感覚は、大人の音響攻撃なんぞにはまだまだ毒されていないのだと感じて、なんだか安心したのでした。彼らの感性が、これからさらにすこやかに、たくましく育っていきますように…。少しでもそのためのお手伝いができたなら、こんなに嬉しいことはありません。