第421回 キンチョーの春

春は、卒業やお別れもある反面、新しい出会いの季節。音楽大学に合格して巣立っていく生徒さんもいますが、四月から新しく一緒に勉強することになる生徒さんとの出会いにも恵まれて、なんだかドキドキしています。

初めて生徒さんをレッスンをしたのは大学在学中、20歳の時でした。大学では寮生活をしていたので、生徒さんのお宅での出張レッスンだったのですが、出張レッスンはそれが最初で最後です。以来、かれこれ20年以上個人レッスンに関わっていることになります。

今まで100人を下らない数の生徒さんのレッスンをしてきましたが、つくづく感じるのは、子供たちは実に、一人ひとりが豊かな”個”に溢れている、ということ。こんなに性格も持ち味も違う子供たちが、学校では文部科学省の定めた指導要領に基づいた画一的(?)になりがちな教育を受け、ある程度の“型”に基づいて評価されてしまうなんて、考えたらなんだか痛々しくなってしまうほどです。

レッスン中におしゃべりが止まらなくなってしまう小さなお友達や、間違えると「あ~!」と、つい声を出して、腕を斜めにふって悔しがる男の子に、いつも私の絵を描いてくれる女の子…。レッスン中は、音楽の楽しさを真剣に伝えながらも、その場で出来ない時は、なんらかの逃げ場(?)や生徒さんに合った効果的な練習方法を用意して、頑張ってやり遂げることの喜びを感じてもらえるように、心がけています。基本的には笑顔のレッスンですが、実は、本編以外でちょっとだけこだわっていることがあります。礼儀作法です。ご挨拶や話の聞きかたなど、うるさく思われない程度に、さりげなく指導するようにしています(だって、生徒さんには、どこにだしても恥ずかしくない紳士淑女になって欲しいのですもの…)。

秘かに楽しみに、そして大切にしているのは、生徒さんとの“玄関トーク”です。レッスンが終わってお帰りまでのひとときに、少しでも生徒さん、あるいはお母様と会話を交わすのが大好きなのです。リラックスした状態だと、レッスン中にはなかなか分かりにくい生徒さんの性格の一片や、興味のあることなどをうかがい知ることができますし、大人の生徒さんやお母様とのおしゃべりは、ただ単純に楽しい!音楽のことでは教える立場でも、人として、あるいは、親として、私にはない経験や知識を持った方が多く、教わることも少なくないのです。

また、ご自身が演奏の仕事をされていたり、ピアノを教えていらっしゃったりする方が、レッスンを受けに来てくださる方も、年々増えています。仕事をしていても、まだまだ学びたい!という姿勢には逆にこちらが学ばされ、本当に頭が下がりますし、音楽の道を精進するもの同志、励まされる思いです。「美奈子先生のレッスンを受けるのが、月に一度の楽しみになんですよ!」と、はるばる県外からも受けに来てくださる先生もいらっしゃって…。本当に嬉しいことです。

嬉しいといえば、かつて習いに来ていた生徒さんのお母様に、どこかでばったり、数年ぶりにお会いすることもあるのですが、ピアノのレッスンが役に立って、今では音楽の先生をしているのだ、とか、今でもピアノは大好きで、たまに弾いているんですよ、というお話を伺う時も、先生冥利につきる瞬間です。

親じゃないのに親のような、先生なのに生徒のような気分になる瞬間がある…。改めて考えてみると、ピアノの先生って、なんだか不思議な職業です。

それというのも、音楽という、抽象的で目に見えない、そして答えが一つではないものの勉強を通して、学校と違って一対一の個人同志でお互いががっつり向き合い、感覚や感情を表現しあう、という、極めて濃密な時間を積み重ねているからなのかもしれません。家族以外の人と、そんなふうに関わりを持つことができるこの仕事が、私は年々、好きになっています。

実は、留学して帰ってきたばかりの頃は、今ほどそのありがたさを感じることができずにいました。演奏だけで食べていけたらどんなにいいかだろう、好きなだけ自分の勉強や、練習に時間を費やしていられたらいいのに、と願っていました。音楽の勉強は、知識やらピアノという楽器の演奏ということを積み重ねるだけではとても事足りるものではないものだということを、分かっていなかったのです。お恥ずかしいことです。

生徒さんから教わること、ピアノのレッスンを通して感じること、一つ一つを大切に、感謝しながら生きていける人が、きっと生涯成長し続けることができる人なのだろうなぁ、と思います。もうすぐ四月。新年度のスタートを前に、人知れず気持ちを引き締めてはちょっぴりキンチョーしている、美奈子先生なのであります。

2009年03月25日

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