第408回 苦しみの正体は

食べられないものはほとんどありませんし、嫌いな音楽もない方だと思っています。わいわい人と過ごすことも、独りでぼ~っとしているのもそれぞれ好きですし、どちらもそれなりに楽しめます。東京に生まれてから、名古屋、仙台、ハンガリー、アメリカなどを転々と(?)して、今住んでいる八千代に至ったのですが、それぞれの土地でそこそこ、順応できていたとも思うので(唯一アメリカでは、何が原因だったのか、体調を崩しましたが…)、元来神経質な方ではないのだと思います。

でも、そんな野太い(?)神経をもつ私にも、唯一「苦手!」と断言できるものがあります。占いです。

ここで不思議なのは、「おみくじ」は別なのです。おみくじは、ここでいうところの“占い”には入らず、むしろ好きです。その二つで何が違うのかよく分からないのですが、思うに、おみくじは必ず神さまほとけ様のいらっしゃるところでひくものなので、信憑性があるような感じがするのかもしれません。気のせいか、浄化されている、というか、守られている、といったイメージがあるのでしょう。素直に“信ずるものは救われる、ゆえに信じておこう”という気持ちになる、といいますか…(単純すぎますよね)。

苦手なのは、雑誌や本、テレビなどで気軽に運勢が語られている類いのものです。最近では電車に乗っていても、車内のテレビ画面に「今日の運勢!」なんて出てきたりして、油断もスキもありません。これから大切なことがある前に「運勢がもっともわるいのは○型!」とか「○座の人は要注意!」なんて言われたりしたら、その人はどんな気持ちがすることでしょう。例えば、このあと彼女に会ってプロポーズするんだ!、という時に「今日のあなたは独りよがりになりがち。言動はひかえめに」なんて言われたら、その人は一体…などと考え、頭では遊びとわかっていても、憤慨しそうになる(!?)ことがあります。

どんなに根拠がないようなことを言われても、つい、本能的に真剣に受け止めようとしてしまうのがいけないのかもしれません。根が真面目すぎるのでしょうか。

つまり、“良いことが書かれていると、ぬか喜びして期待する→良いことはそうそう、起こらないので、がっかりする”、あるいは“悪いことが書かれていると、ちょっといやな気持ちになって身構える→楽しく過ごせないので、たとえいやなことが起こらなくてもなんだかいやな気分で過ごすことになる”、もう一つ“悪いことが書かれていて、悪いことが起こる、と言われただけでもいやな気持ちになるのに、さらに悪いことが起こる→落ち込む”、という状態になり、つまるところ“良いことが書かれていると、ぬか喜びして期待する→本当に良いことが起こる→信じてみよう!”という結果に至ることがないのが、好きになれない原因と思われます。

なんだか理屈っぽいことを、長々とお話してしまいましたが、“信じてみても、いいことに結びつかないことが多いし、悪いことも回避できないから信じたくない→信じたくないなら信じなければいいのに、つい気にしてしまう→小心ものの自分を認めざるを得なくなる→嗚呼、苦手なり”、という、自分勝手な理由によるものだ、ということになります。

苦手なものは少ないにこしたことはないのですが、ここでどうも気になるのはこの「苦」という字です。苦手、とは手が苦しい、と書くわけですが、この“苦”という文字は、なぜ草かんむりに古い、と書くのでしょう。思えば、「苦い」というのもこの字です。古くなった草による苦味?

でも、苦いものがすべて、苦しいものである、ということではないはずです。それどころか、お茶や赤ワインに含まれるタンニンによる苦味、ビターチョコレートやコーヒー、イカのハラワタなど内臓の苦味などは、むしろ貴重な味わいの一部ですし、大人になるほどに、それを一種の美味しさにすら感じるようになってきます。

良薬口に苦し、とも言われるように、苦いものはきちんと受け入れることによって、事態の好転が期待できるのだ、ということわざすらあります。“苦”とは、本来どんなものを考えていたのでしょう?

自己流に考えをまとめてみると…。それを「苦くて辛い!」と思えば苦しいし、それを「苦いから美味しい!」と感じれば苦しくない、ということ。つまり苦しい、に絶対的な定義はなくて、一つのことも、その人の感じ方によって苦しいのか苦しくないのかが変わってくるのだ、ということなのではないかと。

例えば「できないから苦しい」を「できないから面白い」と感じる人はそれを苦にしていないし、「できないから辛い」と感じる人は苦しんでいる、というわけです(そりゃそうだ)。では、再びここで、クエスチョン。なぜ“苦”は草かんむりに古い、と書くのか?…さらに自己流の考えを、勝手に昔話にしてみました。

昔々、あるところで、二人の村人がそれまで食べたことのない植物(草)を見つけました。早速食べてみると、ひとりは「むむ、これはまずい!この草は古く、すでに腐っているぞ!」と、吐き出してしまい、もうひとりは「むむ、これは面白い…楽しい味ぞよ!」と、美味しそうに食べました。その草は、実は不老長寿の“薬草”だったのです。草を食べたほうの村人は、末永く幸せに暮らしましたとさ。今でも、“苦”の字は古い草、“薬”の字は楽しい草、と書かれ、このお話の名残りをとどめています。

なんちゃって。…あら?何のお話をしていたんでしたっけ?


2008年12月19日

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