第403回 ヤモリの訪れ
リビングの、我が家では一番大きな窓の網戸が壊れて幾とせ…。でも、もともとあまり神経質な方ではないので、網戸なしで窓を開けっぱなしにしていても平気、ということと、ジャバラ式で収納できる特殊な構造の網戸なので、修復が難しい(とっても高い!)、という二つの理由で、かれこれ3年近くもこのままになっています。
夏は蚊も入り放題。これにはちょっと困るのですが、彼らは網戸があっても入るときは入ってくるし…。あまり気にせず、せめて窓際に蚊取り線香を焚いてしのいでいます。なぁに、アウトドアだと思えば何てことありません(ちょっと違うかな)。風も生き物も入りやすい状態になっているお陰で(?)、たまに珍客が訪れたりします。夏には、いつもベランダのよしずの陰で涼んでいく野良猫が、「ここはなに?」という顔をしながら部屋に入ってきそうになり、目があって気まずい空気が流れたこともありました。
そして先日、レッスンが終わって部屋の外に出ると、廊下にヤモリがいました。開けっ放しになっていた窓から、いつのまにか入ってきたのでしょう(無用心ですね…)。これは初めてのことだったので、つい「○○くん、ほらほら、来てごらん。かわいいヤモリがいるわよ!」と、はしゃいでしまいました。ちょうどそこへ、彼を迎えに来たお母様がいらして、「あら、ヤモリですか?私、手で捕まえられますよ!」この会話が聞こえたのか、すぐに彼(彼女?)は、靴箱の陰に隠れてしまいましたが…。
半分オープンエアになっているバリのホテルのスパで、マッサージを受けた時、茅葺きの屋根から「キキ!」という小さな鳴き声が聞こえてきました。聞いたことのない声だったのでなんだろうと見てみると、ヤモリでした。私の視線の方向にその存在を認識したバリニーズのエステシャンが「ああ、あれね。ここの言葉で、カクっていうのよ」と、教えてくれました。「へえ…鳴くんですね。初めて聞きました」「…キキ!」そのあまりの間のよさに、エステシャンの彼女と顔を見合わせて微笑みあったのを覚えています。その後も、施術中に「日本の仲間は鳴かないの?じゃ、じっくり聞いて帰ってね」というつもりだったのか、何度か鳴き声を聞かせてくれました。
ものの本によると、日本に生息しているヤモリはほとんどがニホンヤモリGekko japonicusで、体長10~14cmはほど。日本では家に住み着いて害虫などを食ってくれるので「家守」「守宮」などとも書かれ、昔から家にヤモリがいるとその家に悪いことが起きない、と信じられているようです。なんでも東南アジアでは、子供が産まれたときにヤモリが鳴くと、その子は幸せになるという言い伝えもあるとか。一見トカゲのような、「大きかったらさぞや恐ろしいだろう…」とも思われる肉食の生き物なのに、人間に珍重されて(?)きているなんて、不思議な感じです。
色々なものに“神”が宿っている、という、八百万の神の思想…。古代の日本人は、山、川、巨石、巨木、動物、植物などといった自然物、火、雨、風、雷などといった自然現象の中に、神々しい「何か」を感じとりました。アイルランド人の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はそれを「神道の感覚」と呼んでいます。自然は人々に恩恵をもたらすとともに、時には人に危害を及ぼしますが、古代人はこれを神々しい「何か」の怒り(または祟り)と考え、怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願い、それを崇敬するようになって、後に「カミ(神)」と呼ばれるようになったといいます。
日本は基本的に無宗教の国だ、とか、キリスト教でもないのにやれクリスマスだと大騒ぎして節操がない、とか言われがちです。でも、「神さま仏さま」、ではありませんが、実は最も深く、しかも日常的なところで当たり前のように神さまの存在を感じている民族なのかもしれません。
「一粒の米に、神さまが7人(3人という説も…)宿っている」と言われ、食べ物を前に「いただきます」と手を合わせる私たち。「いただきます」の時にいう言葉は、それぞれの国にありますが、「ごちそうさまでした」の時にいう言葉を持つ国は少ないのではないでしょうか。日本人は食べることや食べ物に対して、本来とても敬虔な姿勢をもっているのでは、という気がしてきます。
宗教ではなく、自分たちを守ってくれる“神さま”の存在を信じて、お互いをいたわり合い、認め合っていければ、世の中の争いはかなり減ってくれるのでは…と思うこの頃です。