第400回 フロイトにはなれないけれど
週に一度、更新してきたこのエッセイも、いつのまにか今回で400回になるのですね。400回ということは、年に何度かは何らかの理由で更新できなかったことを差し引いても、約8年にわたって、書き続けたことになります。まぁ、よく飽きもせず、といいますか、図々しくも、といいますか…。
継続は力なり、という諺がありますが、果たしてこれが、なんらかの力になっているのでしょうか?自分としてはまったくそんな実感はありません。よく、「ながく続けるのって、大変なことですよ」と、労ってくださる方がいるのですが、ピアノにしてもエッセイにしても、えらいのは私ではないのは明らかです。だって、誰に頼まれるでもなく自分が「やりたい」と思ったから、周囲に迷惑をかけつつ、無理やり遂行してきただけなのですから。むしろ、続けさせてもらって、申し訳ないような気持ちになることが多くなっているようにも思います。
例えば、ピアノの場合。お稽古には楽器が必要ですし、私の育った家庭のように転勤族だったりすると引越しのたびに運送費(大きな楽器なので特別料金になる)がかかります。また、ピアノを置くスペースも確保しなければならないし、スペース以上に防音対策が問題になったりします。社宅だったり借家だったりすれば勝手な防音工事もままなりませんし、かといって練習しないわけにもいかず…。母が近所の方に気を遣って、何かにつけておもたせを持参してはご機嫌をうかがっていたことを知ったのは、随分後になってからのことでした。
大人になるにつれ、自分がわがままをわがままと認識しないまま、それを当たり前と思ってやり通してきてしまったことに気づいて、申し訳なく思うことが増えてきました。同時に、両親に対する感謝の気持ちも、大きくなってきました。
このエッセイの方は、細々とでも誰に迷惑をかけるでもなく続けていけたらいいな、と思って、当初は自作のとても簡易なホームページ上で更新していたのですが、ある時、とある奇特な方が私のオフィシャルサイトの構築を申し出てくださいました。自分のドメインを取ることなんて考えもしませんでしたし、もともとこの世界のことには疎くて右も左も分からない私は、もうすっかりその方に甘えてしまっている状態です。サイトの管理や不具合について、どう対処したらいいのかちっとも分からない私がこんなにながい間、エッセイを続けていられるのも、その方のおかげです。
このように、何かしようとするとどうも周囲の方にご迷惑をかけてしまうのは、哀しい性分(運命?)なのでしょうか。そう考えるとなにやら、申し訳ないような気持ちでいっぱいになって、ちょっとため息をついてしまったりします。そのため息があまり似合わなくて、自分でも笑ってしまうのですけれど。
“鬱(うつ)”、“心の病気”といった言葉が市民権を得はじめたのとほぼ同じような時期に、“和み”、“癒し”、“スピリチュアル”…といった言葉が巷に流行りだしたような気がします。人の心は、いつからそんなに脆くなってしまったのでしょうか?いいえ、人の心はいつだって繊細で、それでいてそもそもは強く、すこやかであり続けるパワーを孕んでいるものだと思うのです。変わってしまったこのがあるとしたらそれは、心そのものではなく、その心のちょっとしたキズをいたわりあう人間関係なのではないでしょうか。
それが大きなダメージになる前に、「大丈夫、大丈夫!」と心から微笑んでくれる誰かや、自分を無条件で信じてくれる存在があったなら、きっと心の“キズ”は、“病”になる前に消えてなくなってしまうことでしょう。では、人間関係はいつから変わってきてしまったのか…。これの原因は一つではないし、複雑な要因が絡み合っているのは明らかです。
マーラーやラフマニノフも心の病気に悩まされましたが、彼らはそれぞれフロイト、ダーリといった精神科医たちに出会ってよい処置(影響)を受け、再び創作意欲を取り戻し傑作を書き残しました。人を育てるのも壊すのも、人なのだ…と考えると、こんなふうにマイペースで生きることを支えてくれている周囲の人たちに、改めて感謝したい気持ちです。
来週の誕生日で私も日本人女性の平均寿命の半分を全うし、いよいよ人生を折り返そうとしています。これからは何かもっと、人の役に立つことを生きる核にすえていきたい、とは思うのですが、こんな自分に何ができるのかと知恵を絞ってみても、情けないことになかなか「これ」というものが浮かびません。
今、次のアルバムジャケットのデザインを詰めているところです。「誰に聴いてもらいたいのか」「どんなふうに楽しんでもらいたいのか」…デザインと向き合っていると、そんな問いかけで頭がいっぱいになります。
心がちょっと弱っている時に、「あ、これでも聴いてみよう」と、手にとりたくなるような…あるいは、リラックスしたいひと時に「あ、お茶でもいれてこれを聴こう」と、思ってくださるような、そんなアルバムに仕上がったら本望なのですが。フロイトにはとてもなれませんが、妖精が私のアルバムに、心の小さなキズに温泉のように穏やかに効く成分を注入してくれたらなぁ。