第398回 水と油

朝、とある奥さま向けテレビ番組を見ていたら、美味しいコロッケを作る極意、という特集を放送していました。つなぎに小麦粉を入れてほくほくさせたり、油の中でパンクさせないよう、揚げ始めはしばらくさわらない、などのポイントに混じって、面白いな、と思うフレーズがでてきました。“水分と油の交換”という言葉です。

衣をサクサクに仕上げるためのコツのなかに出てきた、“乾燥パン粉を使う場合には、少ししめらせる”というコツです。揚げる、というのは水分と油の交換現象なので、生パン粉くらいの適度な水分をもたせることで、その交換が油の中でスムーズに行なわれ、サックリとした仕上がりになる、というのです。

水と油、とは、もちろん一般的には“異質であるためにしっくりといかないこと”とか“お互い打ち解けないこと”のような意味で使われる言葉ですが、場合によっては、異質なものであるがゆえに素敵なコトにつながることもあるのだ、と思うと、なんだか楽しくなりませんか?異質、という言葉だけに限定されないことかもしれませんが、異なる個性、民族や相対する主張、思想が混ざり合ったり、交じり合ったりするところに、文化や芸術が栄えているのは明白なことです。え?美味しいコロッケから、話がふくらみ過ぎてしまっています?

水も油も地球からの、そして宇宙からの(?)大切な授かりものです。その両方を知恵をもって受け入れ、活用して、人間は生活していることを思うと、“水と油”ということわざの意味も、如何なものだろうか…なんて屁理屈をこねたくなってしまいます。従来のではなく、例えば“異質なもの同志が、よい折り合いを見出し、お互いを高めていくこと”なんて意味に使われてもよさそうではないかしら。活用例:「あの二人は、まさに“水と油”よね」「本当に。前世でもつながっていたりして!羨ましいわぁ」…と、書きながら、やはりちょっと違和感かな、という気もしているのではありますが。

いつも心がけていることが、いくつかあります。ひとつ。人と会うときにはまず笑顔になること。ふたつ。「元気ないんじゃない?」「顔色、悪いけど大丈夫?」など、相手の人に自分を心配させてしまうようなことは極力言わないこと。三つ。自分と異なる見解、意見に遭遇した時に、きちんと最後まで内容を聞かずに「それは違う」という立場でものを言わないこと、です。

年齢とともに顔の筋肉が弱って表情がたるんできたせいか、はたまた重力に負けて目じりが下がってきたせいか(どっちにしても、哀しいことに違いはないが)、以前に比べて優しく見ていただけるようになってきたようです(う~む、喜んでいいのか悲しむべきか…俗に言うところの“プラマイゼロ(プラスとマイナスのポイントが同じ)”っていうところですね)。とにかく、「美奈子先生は声を荒げて怒ることなんて、ないでしょう?」「(私が怒ることを)想像できないわ」なんておっしゃって下さるご父兄もいらして、一つ目はかなりクリアできてきているようです。

二つめも、けっこう気をつけています。子供に対しては別ですが(熱っぽい顔やとろんとした目をしていると、本当に心配になってしまうので…)、会った人が、仮に多少元気がなかったり落ち込んでいる様子があったとしても、一緒に話している間にそれを忘れて、いつの間にか元気になってくれるほうが嬉しいので、わざわざその反対に方向付けるようなことは、もともとできる限り言いたくないのです。

問題は三つめ。これがなかなかできません。自分と異なる意見に対して、頭から否定したいわけではないのですが、いかんせん、元来のおしゃべり好きなので、相手の話をわってつい、つっ込みを入れたくなってしまうのです。聞き上手になることは私の一生の課題なのでしょう。

自分が話すことも、人の話を聞くことも、両方が上手だな…と感心する友人がいます。高校生の時の同級生なのですが、小学校の先生、という天職を様々な悩みを抱きつつも真摯に全うしている姿には、いつも励まされます。こういう先生には生徒は心を開いて、自分のことを語りたくなることでしょう。そして、大人とそんな関わりを経験した子供は、将来決して壊れたりしないことでしょう。何かというと自分の方がぐらぐら揺れては、周囲を巻きこんで大騒ぎしてしまう私とは大違い…。

でも、彼女とは“水と油(もちろん、美奈子流解釈の方の)”なのだと信じて、ずっとついていきたい私です。あれ、待てよ。性格はそうでも、美味しいものが大好きで独身、というところは共通なのだったわ。こういう場合は何と例えるのが適切なのかしら。あ、『絶品コロッケ』というのはどうだろう。その心は…“もともと、じゃがいも、ひき肉などといった異素材の組み合わせながら、一つのメソッドにより、水と油の交換現象に代表される絶妙な融合をもってお互いを高めあうさま。または、コロッケ、というある一つのものの中に、サクサクとホクホク、など、食感の違うものが共存し、とどのつまり『美味しい』という幸福感に達すること。文例:『彼らの友情は絶品コロッケの域に達しているね』。準類義語:『おしどり夫婦』”。

う~む、やはり意味不明ですね。失礼致しました。

2008年10月10日

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