第385回 人間の土地
「長いこと一つのことを続けてこられて、偉いですね~」と、褒めていただくことがあるのですが、自分としては他に何も思いつかない状態でずるずると年月が過ぎてしまっているだけなので、なんだかそんな風におっしゃっていただくとくすぐったい感じになるのです。
ずいぶん前に、山田洋二監督の『釣りバカ日誌』という映画を見たことがあります。寅さんに並ぶ有名なシリーズですが、原作は同タイトルの漫画だそうです(そちらはまだ、拝見していないのですが…)。その中で、主人公浜ちゃんの奥様、みち子さんが、彼が自分に言ったプロポーズの言葉を誰か(確か、浜ちゃんの勤めている会社の社長さん、「スーさん」にだったかな?)に、話すシーンがありました。「浜ちゃんね、あたしに“僕は君を幸せにする自信はありませんが…僕が幸せになる自信はあります。僕と結婚してください!”って…」
それを話している時の、彼女の幸せそうな、穏やかな微笑みも印象的でしたが、その言葉はとても素敵な鈴の音のように、涼やかに、素直に心に響きました。「そうだそうだ。私も、音楽で生活していける自信ががあるから、とかじゃなくて、音楽によって自分が幸せでい続けられる自信があるから続けているんだわ」と、改めて感じたのです。
そんなことを感じていた矢先に、ある本と出合いました。元来おしゃべりで、経験した愉しいことも不愉快なことも(?)、とにかく誰かに話したくなってしまう方なのですが、久しぶりにあまりの感動に無口になってしまうほど、打ちのめされました。『星の王子さま』の作者、サン=テグジュペリの代表作『人間の土地』です。
小説家として、そして飛行家として生きたサン=デグジュペリの、実体験を綴った物語なのですが、尊敬する友人のパイロットが事故で殉職した時に彼が感じたこと、そしてサハラ砂漠の真ん中に不時着した彼が、絶体絶命の極限状態を体感した時に思ったこと…。言葉以上の深い思想をもって人間の根源をフラットな視線で見据え、決して退廃的にも攻撃的にもならずに私たちに語りかけてくれるのでした。
「完成は付加すべき何ものもなくなったときではなく、除去すべき何ものもなくなったときに達せられるように思われる」
「ある一つの職業の偉大さは、それが人と人とを親和させる点にあるのかもしれない。真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ」
「経験は僕らに教えてくれる、愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、一緒に同じ方向を見ることだと」(『人間の土地』堀口大學訳より)
内容についてあれこれ語るどころか、こうしていくつかの文章を抜粋するだけでも、この作品の素晴らしさをむしろ安っぽくお伝えてしまうような気がしてしまいます。
人間の幸福感、幸福観は、人それぞれであるとは思うのですが、極限状態に陥って“乾いた”状態になっている時にこそ、それはきっと、もっとも研ぎ澄まされ、美しく強い信念をもって、その人の生命の水となり、支えとなるのでしょう。
そう思うと、世の中に“不幸”なんて、本当は存在しないのではないのかしら、という気がしてきます。不幸があるのではなくて、それを、不幸、と感じてしまう心の“迷い”や、“ゆらぎ”があるだけなのでは、と…。そう思うと、なんだかふっと心が軽くなったような気がしました。「芸術の意味は、ただ一つ。人々に、彼らが忘れかけている豊かさを喚起させることにある」と言っていたのはあの“帝王”カラヤンだったかしら…。
今はただ、無謀にもこの作品をなんとか原語で読んでみたい、という欲望にとらわれているばかりです。一種の恋愛状態(?)です。でも、フランス語の壁はいかにも厚そう…。そこへきて、新たに語学を学ぶ上での年齢の壁、というものも立ちはだかるであろうことは確実です。その壁を幸福な試練だと思えるように、まずは心の修行が先決かな?
(*来週の『ピアニストのひとり言』は、著者の目の手術のためお休みいたします)