第381回 ひと口のデザート
「○○はあなたにとって、何ですか?」「○○はあなたにとって、どのような存在なのですか?」
職種を問わず、よくこういった質問を耳にします。私の場合でいえば、○○のところには音楽、とかピアノ、という言葉が入ることになるのでしょうし、実際、過去にこのような質問を受けたことは少なくありません。
質問された方が、「生命体にとっての水のように、かけがえのないものです」とか、「○○は私の人生そのものです」といった返答される場面にしばしば出会います。一見、さほど難しい質問でもないように思われますが、意外に答えにくいのか、この質問に対しての答えにはあまり多くのパターンがないような気がします。
例えば、そんな場面で「そうですねぇ。単なる仕事ですねぇ。食べていくための…」とか、「別れたくても別れられない、離れようにも離れられない、古女房みたいなものですかしらん」なんていう答えには、まず遭遇しません。仮に、そんな答えをしたなら、編集やら何やらの段階でチェックが入って、はねられて(ボツになって)しまう、もしくは“とり直し”になってしまうのかもしれません。今風(と言っても、すでにひとむかし前の表現になりつつありますが…)に言うところの、「空気を読んでください!」ということでしょうか。
私自身はその質問にどう、答えたのか…。今となって記憶も定かではないのですが、やはり「なくてはならない…、あってあたり前な、空気のようなもの」とかなんとか、答えたような気がします(なんだか気障ですね)。もしも今、同じ質問をされたら、何と答えるでしょう。「日常の一部です」が、その答えかもしれません。我ながら華がない、平凡な答えだとは思うのですが、それが正直な感慨です。
例えば、朝起きてほぼ無意識にカーテンを開けるように、ピアノに向かうのです。考えてみたら、物心ついたときからかれこれ30年以上もの長きにわたって付き合っている“相手”なのですから、家族同様に、そこにあって“当たりまえ”な存在になっていても不思議はありません。
ピアノとの出会いはごく自然なものでした。自宅にありましたし、母が折にふれて弾いているのを見たり聴いたりしていたのです。それでは、ピアニストとの出会いは?…以前にもお話しましたが、私が始めて耳ではなく、目で触れたピアニストは、テレビの中の中村八大さんでした。
中村さんは、言うまでもなく、邦楽として全米ヒットチャートナンバーワンに初めて輝いた『上を向いて歩こう』通称スキヤキソングや、『明日があるさ』、『こんにちは赤ちゃん』など数々のヒット曲を残した作曲家です。ピアノを弾く中村さんの姿は、バラエティー番組の中でさりげなくお芝居したり、他の方(坂本九さんや渥美清さん、黒柳徹子さんなど)とトークをされたりする中で、自然にピアノに向かわれ、ご自身の作品を気負いなく弾かれている感じに見えました。その、日常の中に会話があるように音楽があって、同じように当たり前のようにピアノがあって、なんとなしに演奏が始まる感じがとっても素敵で、当時幼稚園児だった私はいっぺんで憧れてしまったのでした。「わたし、こういう人になりたい!」…
今、YOU TUBEという動画サイト(著作権やら映像権?など、色々と物議をかもしているようですが…)から、その懐かしい映像を見ることができるのは、ちょっと嬉しいことです。(http://www.youtube.com/watch?v=Vbi3oPdsQYQ)
この映像を見るにつけ、私にとってたまたま中村さんの音楽と同じように身近にあって、しかもたくさんの魅力を感じたのがクラシック音楽だったということであって、本来憧れてやまなかったのは、日常の生活を楽しむための、あるいは楽しいひと時のための“ピアノ弾き”というスタンスだったのだ、と、改めて思うのです。
実家では、私の小さい頃から毎日、夕食後のデザートを欠かしませんでした。それは、例えばある日は季節の果物だったり、あるときは父がお土産に買って帰ってくれたアイスクリームだったり…。デザート、とはいっても特に贅沢なものを頂くということではなかったのですが、ひと口甘いものを食べるというのが、なんとも楽しみでした。そんな幼児体験があるからか、今も食後のデザートタイムが大好きです。特に、家族や友人と頂くひと口のデザートは、気持ちを和ませリラックスさせてくれますし、私にとって、平安と幸せを感じる大事な時間なのです。(この頃は、甘いものがお酒に変っていたりするのですけれど。)
私のピアノが、そんなひと口のデザートのように、誰かの日常のほんの一部ではあっても幸福なひとときに少しでも関われたら、どんなに嬉しいことでしょう!
挫折や失望、後悔や苦悩…。人間には様々な感情が用意されていて、すべてが明るいものばかりではありませんが、それらの感情を受け入れながらも音楽をずっと楽しみ続けることができる人でいたい。そして、もっと音楽を楽しんでもらえる人になりたい…と、夢みています。