第376回 孤独な夜のココア

聖火リレーは各地で抗議行動や激しい妨害を受け、厳重な警備の中でかなり難航している様子です。香港に至っては予定されていたルートを直前に変更、空路を駆使してなんとか危険を回避したということでした。何のためのリレーなのでしょう。なんだか悲しくなってしまいます。

そういえば、もしも出産予定日どおり東京オリンピック開催中にこの世に産まれていたら、私は聖子という名まえになるはずだったそうです。聖火の“聖”子。ところが聖火塔の火が消えてもいっこうに下界におりてこないので父は「何もならない!」と苛立って、名まえの変更を余儀なくされたということです。まぁ、聖なる…“聖”のつく名前なんてイメージに合わないし、替わりに頂いた美奈子という名まえも大好きなので、結果的にはよかったと思うのですが、私ののん気なマイペースぶりは産まれる前からだったということになります。以来、周囲の皆様にはいつも、お手数ばかりおかけしている気がしてなりません。改めて、どうもすみません…。

ところで、聖子、というとまず頭に浮かぶのは歌手の松田聖子さん(彼女のその名まえは、本名ではないようですが)。それから、参議院議員にもなられたスポーツ選手の、橋本聖子さん。彼女は同じ年の、やはり東京オリンピック時のお産まれで、名まえの所以もオリンピックにちなんだものである、という話を聞いたことがあります。そして、1924年生まれの、作家の田辺聖子さん。

田辺さんの作品に初めて出会ったのは、高校生の頃です。確か、『新源氏物語』でした。それから、田辺さんの他の作品にも興味を抱いて、学校の図書館で著書を探してみたら…ふと目に留まったのが『孤独な夜のココア』という、とても可愛らしいタイトルの本でした。

物語の内容は覚えていませんが、恋がテーマの12ほどの短編小説だったと思います。淡い色の装丁も素敵でしたが、何よりタイトルにぐっときてしまいました。折りしも、16歳という、乙女真っ盛りの頃。恋愛の経験はなくても、興味で心も体も(?)ぱんっぱんに膨れていたような時代でした。恋と同じくらい、甘いものにも興味があって、中でもめったに飲めないココアという世にも美味しいものは、憧れの存在でした。

当時は今のように手軽なインスタントの粉末は一般的ではなかったので、お湯を注げばはい、ココア!…というわけにはいきませんでした。では、「ココアを飲むぞ!」ということになると、なにが起こるのか。

…まず母に適当な大きさの鍋を出してもらい、オランダ製の「バンホーテン」と書かれた缶をうやうやしくどこかから取り出だしてきて、中味が勢いよく飛び出したりしないよう、慎重にその蓋を開けて分量のココアパウダーを鍋に入れ、そこにたっぷりの砂糖と少量のミルクを加えて火にかけ、溶きのばします。ペースト状になったところで残りのミルクを投入、あとは絶えず泡だて器でシャカシャカと攪拌しながら、立ちのぼってくるカカオのいい匂いを嗅ぎつつ温め続け、沸騰寸前で火を消すというタイミングを逃さないよう(だって、間違って吹きこぼれてしまってはせっかくの貴重なココアがその分、減ってしまうもの!)、表面の変化に最大の注意を払いつつも、ドキドキしながらその瞬間を待つ…という、一大イベントのような騒ぎになりました。

ココアパウダー、砂糖、ミルク…香り、コク、甘み、そして苦味をたたえた三つの食材が渾然一体となるこの飲み物が、なぜ美味しくないわけながありましょう。しかもそれに熱が加わることによって香りが増し、カップの上いっぱいの湯気を揺らがせているのですから、もう大変。見ているだけでえもいえぬ幸せが襲いかかってきます。そして、その温かいカップを我が手に取り、口元に近づけて目を閉じて、静かに香りを嗅いでみると、少しぐらいのいやなことなんて吹き飛んでしまいます。

そんなココアとは当時の私にとって、子供的でも大人的でもない、なんだかとても微妙な、くすぐったくなるような素敵な飲み物でした。『孤独な夜のココア』。もうそのタイトル一行だけで、詩のように様々なイメージが膨らんできたのでした。

今度のアルバムのことを考えていた時に、ふとそんなことを思い出しました。ちょうど、寝る前にふっと聴きたくなるような、12曲ほどの静かなピアノ作品(できればフランスの)を集めたアルバムを作りたいな、と思ったのです。一日のおしまいにほんわりと心と体を温めてくれる、ちょうど一杯のココア(あるいは、ナイトキャップ?)のようなアルバムにしたいのです。

それが実現するかはまだわかりませんが、実は曲もタイトルも、自分の中でかなり固まってはきているのです。うふふ…。

2008年04月10日

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