第367回 もうひとつの『大地の歌』

疲れた時や、リラックスしたい時に、ふと、足を運びたくなるお気に入りの場所はありますか?…と聞かれたら、どうお答えになりますか?それは、本当はあまり声を大にして言いたくない“ヒミツの隠れ家”のようなものだったりしませんか?少なくとも、大手コーヒーチェーン店やいつも人で溢れかえっている観光名所を挙げる方は、少ないのではないかと思います。

“私のお気に入り”の持ち物もしかり。限定品など希少性のあるもの、その場所に行かないと出会えなかった思い出のもの…。単にマジョリティーや値段ではなく、それが自分にとって特別なものだからこそ、価値を感じるのだと思います。そう考えると私たちは、「みんなと同じじゃないと不安」という部分と「みんなと同じじゃなくていいし、むしろその方がステキ…」と感じる部分の両方を持っているのかもしれません。ただ、その比率が人それぞれである、ということなのではないでしょうか。

私はというと、どうも後者の方の比率がずっと高いようです。かと言って、人の意見や好みに興味がないわけではもちろん、ありませんが…。ただ、物を買うときもレストランに食事に行く時も、ついネットなどで不特定多数の口コミを気にしすぎてしまう最近の風潮には、ちょっと抵抗を感じています。だって、いくら多くの方が「よい」と判断されたとしても、自分も同じように感じるとは限らないと思いますし、もし自分とは感じ方も価値観も違う方の意見だったら、かえってそれを参考にして結論を出すことがマイナスに働くことになるかもしれません(私も、口コミを信じて失敗した、という、苦い経験があります)。

メジャーじゃないけど、とてもステキなお店を探り当てたり、一緒に時間を過ごしたい…と感じるアーティストの音楽にであった時の喜びには、なんとも言葉では表現しつくせないものがあります。そんな出会いの一つが、セヴラックでした。

セヴラックは1872年、フランスのラングドック地方に生まれた才能溢れる作曲家なのですが、パリで活動するも都会の空気になじめず、地位や名声から離脱して故郷に帰り、自らを“田舎の音楽家”と称していた人です。たくさんのピアノ曲を残してくれたのですが、なかなか演奏される機会がなく、私も一年ほど前まではその存在を知りませんでした。

ある時、私のCDを取り扱ってくださっているキングインターナショナルさんの担当の方からその名前を聞いて、あれこれ楽譜や音源を探してみました。弾いてみると、確かにパリとは違う空気に溢れた音の世界が広がります。覚えやすいメロディー、とか劇的な展開、分かりやすい構成…という、一般に受け入れられやすそうな要素は少ないかもしれませんが、何ものかにとらわれることなく“空”に遊んでいるような音の響きに、魅せられました。とても好きな音でした。ドビュッシーが「セヴラックの音楽は、とてもいいにおいがする。大地のようなステキな香りが…」と言ったのも、うなずけます。

大地、といえば、『大地の歌』という、あの、合唱つきの壮大なマーラーの管弦楽曲が浮かぶのですが、同じタイトルのピアノ曲があるのはご存知ですか?まさにそのセヴラックが、『大地の歌』という作品を書いているのです。マーラーの『大地の歌』とは似ても似つかない、田舎の日常的な素材と、飾りのないモティーフをもと書かれた2~5分程度の7曲による組曲なのですが、“7部からなる農民詩”という副題をもっていて、耕作、種まき、雹、刈り入れ時…と、一曲一曲のタイトルを見るだけでも風景が目に浮かぶようです。聴いたとたんに彼の故郷に行きたくなって、実はそれが昨年のピレネー旅行のきっかけになったのでした。

人との素敵な出会いが人生の豊かさにつながるように、知られざる素敵な数々の作品との出会いから、思いがけなく世界が広がることがあるかもしれません。そんな出会いを提供することができたら、それこそピアノ弾き冥利につきるというもの。でも考えてみたら、その前に私をもう少し皆さんに知っていただく努力をしなければいけないのかもしれませんね。う~む、現実はキビシイ!

2008年01月30日

« 第366回 医食同源 | 目次 | 第368回 叶うはよし »

Home