第365回 人生“色色”
味覚に対する日本人の繊細で豊かな感性は、類まれなものである、と、よく言われます。確かに、そう感じる場面は少なくありません。
昨日、久しぶりにお寿司をいただいたのですが、ネタの切り方、ネタに対するシャリの量だけでなく、ネタの硬さ柔らかさによるシャリの握り分けなどのバランス、ネタが最も美味しく感じられる温度を判断し、見た目にも美しく提供する職人さんの技量には、いくら追求しても完璧なところにはなかなか到達できないような、ある種、芸術家にも通ずる厳しさがあるように感じました。鰻や懐石料理などと違って、もともと大衆的な食べ物だったお寿司ですら、こんなに奥深いのです。…あるいは、大衆によって育まれてきた文化だからこそ、奥深いものに成熟したのかもしれませんが。
でも、ここのところ、食文化や味覚だけでなく、日本人の色彩に対するセンスもとても気になっています。何百もの微妙な色合いが美しい呼び名をともなって古代から伝わっていることを思うと、改めてすごいことだと思うのです。日本語による独自の色の名前は、日本に漢字が伝わってすぐに記された『万葉集』にすでに登場しているそうですが、様々な時代を経て、今も多くの素敵な色とその呼び名が伝えられています。
例えば“茶”とつくものだけでも、海老茶、雀茶、鶯茶、唐茶、媚茶、千歳茶、海松茶、鶸茶、丁子茶…など数えきれないほどで、なかでも江戸時代には團十郎茶、路考茶、芝翫茶、梅幸茶、瑠寛茶など歌舞伎役者にちなんだ色とその名前が誕生して、当時の流行色にもなったそうです(そういえば、様々であることを“色々”と表現したり、性的な魅力を“色気”“色っぽい”などというのも面白いことですね)。
これは何ゆえなのでしょう?いくつもの要因があることだとは思うのですが、そのひとつには人々が自然に対して常に鋭い感覚を持ち、生活にそれを密に結び付けていた背景が感じられるのです。
先日、宮城県を代表する染織作家、笠原博司さんご夫妻のお店に伺いました。コンサートにいらして下さったり、お店の主催のコンサートに出演させていただいたり…長年のお付き合いさせていただいて、よい刺激をたくさん頂いている方です。今回は博司さんにはお会いできなかったのですが奥様にお目にかかって、木の葉や木の実、花や土など、山の中を散策すれば、自然のものに染料にならないものはないほどだというお話などを興味深く伺いました。
彼の作品もお店もとても素敵なのですが、インターネットでの作品発表や営業、お店の紹介などは一切行なっていないため、なかなか実際に見たことのない方にその素晴らしさをお伝えにくいのが悩みです。笠原氏は「どうも、バーチャルの世界は信用できないんです。自分は、伝統の中に生きている、ふるい人間なもので…」と笑いますが、その一見やわらかいコメントの中に、揺るぎない信念が伺えて、それがまた笠原さんらしいのです。確かに、彼の紡ぎだす繊細な色や織りのえもいえぬ風合いは、たとえ何万画素の高性能液晶画面といえども、伝えきれるものではありません。それに、作品を手にとってみたときの、あの、なんともいえない感触ときたら!…体験してみないととても想像ができないものだと思うのです。
きっと彼は、どんな世の中になっても、その風潮によって自身の作風や信念がぶれることはないでしょう。そんな、おいそれと揺るがない芯の強さと、自然を直に感性の中に受け入れる柔軟さの両方を持っているアーティストにお会いすると、私はとても励まされるのです。
案外、そんな強さと柔軟さを本来持ち合わせているのが、私たちの遺伝子に元来組み込まれている“大和魂”の本質なのかもしれません。