第361回 支えられる幸せ 支える幸せ
先日、リサイタルSYMPOSIONの三回目“シューベルティアーデ”を終えました。反省すべきところは多々あるのですが、大好きなシューベルトと四苦八苦した日々は、自分にとって音楽の原点に立ち返りながらの充実した時間だったと感じています。
デビューして今年で20年…と、時間ばかりは経ているのですが、リサイタルの後の感慨はいつも同じ。とにもかくにも、支えてくださった周囲の方への感謝のみです。今回も、どんなにたくさんの方々に、業務的なことも精神的な面も、助けていただいたことかわかりません。あまりにもそれが大きいために、「しばらくは自主コンサートは控えなくては。周りの方に、こんなに色々していただくばかりでは申し訳ない…」という気持ちになってしまうほどです。お世話になった皆様には、心からお礼と感謝を申し上げます。ありがとうございました。
今回、改めて恵まれているな、と実感したのは恩師の存在でした。小学校は名古屋だったので、なかなか先生にお会いする機会がないのですが、中学校、高校、大学のそれぞれの時代にお世話になった先生が、会場に足を運んでくださったのです。ご案内をお送りすると「楽しみに伺いますよ」と、すぐさまお返事を書いて励ましてくださったり、コンサートの後にバックステージでお変わりないお姿を見せてくださったり。そんな時は、懐かしさと有り難さがこみ上げてきて、胸がいっぱいになります。
大学4年の時にお世話になった作曲家のO先生との出会いがなかったら、あるいは留学をすることもなかったかもしれません。先生の演奏法の講義はとてもユニークで、何のテキストも使いません。楽器の指定もなければ、おもしろいことに(?)先生の講義を受講していない学生の参加すら自由でした。「誰か何か弾きませんか?」という先生の問いかけに始まり、気がつくと受講生みんなでセッションをしているのです。今思うとそれは完全な欧米スタイルの講義でした。
だからといって、先生の講義はフレンドリーで分かりやすくて…というわけではなく、反対にとても厳しく、決して妥協を許さないものでした。「だいたい、あなたはどう弾きたいのですか?」「なんとなく弾いているようで、きちんとした音は一つも出ていませんよ」「体のことをいったいどう意識しているんです?」…語調もお声も柔らかいのに、おっしゃることは辛らつで、年度が終わる頃には受講生は半分以下に減っていたような気がします。
でも、知りたいことにはとことん答えてくださる先生でした。時にそれは講義時間をはみだして、その後のランチタイムにずれ込んだり、新宿の立ち飲みワインバーにご一緒したこともありました。でも、話すことは一貫して音楽のこと、演奏のこと、勉強のことばかりです。当時、自分がどうしたいのか、具体的にイメージできていなかった私は、すぐにやり込められました。
そんな中で、先生との対話を通じて留学しよう、という決意が固ってきました。「鈴木さんは、留学がだめだったらお見合いでもなさい。私が教えているもう一つの大学の数学の助教授に、真面目で才能のあるいい男がいるのです。ただ、彼は研究に熱心すぎて…」(留学が順調に決まったので、そのお見合いは残念ながら実現しませんでした。)留学中も折にふれて手紙を出していましたが、お返事は厳しいものばかり。「異文化に対して、そんなに表面的な捉え方しかできなうようでは、まず何も得られないで帰ってくることになるのでしょうね。一体何を学びにいっているのですか?」「音楽というものや、演奏するということについて、まだちゃんとお分かりになっていないようですね。」徹底したダメだしに、O先生は私を励ましたいのか陥れたいのか分からないわ…と、未熟な私は悲しい気持ちになったのでした。
それでも、東京でのコンサートの時にご案内を差し上げるとほとんど毎回、ご都合をあわせて足を運んでくださいました。バックステージや楽屋にお姿を見せてくださることなく帰られてしまうので、いつもお会いできずじまいなのですが、必ず感想を書いたお葉書きが、一週間以内に送られてくるのです。
昨日、そのO先生からのお葉書きが届きました。「お元気で何よりと想います。音楽会招待有難うございました。とても素晴らしいですね。本当はもっと聴き手のほうが言葉で参加できるといいのですけど、なかなかそうはいかないよね。~中略~私の方は又、ニューヨークの仕事で二週間行きます。とり急ぎお礼まで」
ブルーブラックの万年筆で書かれた柔らかい文字から、先生のお声が聞こえてくるようでした。O先生に「素晴らしい」と言っていただける日がくるなんて、夢にも思っていなかったこともあり、不意打ちをくらって涙がこぼれました。
私はO先生のように、人を本当の意味で支え、偽らざる言葉と気持ちで励まし、永い年月に渡って見守り、育み続けることのできる人間になれるのだろうか。いつかそんな人間になりたい。…コンサートが終わって、ぽかっとできた心のすき間は、いつのまにかそんな夢で満たされていました。
支えくれる人がいること、そして支えになりたい人がいることは、どちらも人間にとって、もっとも大きな幸福の源なのかもしれません。