第360回 手仕事のしあわせ
ほとんど疑いなく、マイ・パソコンがウィルスにやられています。怪しげなアイコンがいつのまにか現れ、タスクバーに見覚えのないボタンが増え…。メールをチェックするのもインターネットをするのも異常に時間がかかるし、怖くてネットバンキングやお買い物も控えざるを得ない状況です。スパムも洪水のように毎日(毎時!)なだれ込んできて、削除作業にも一苦労…。実はこのエッセイも、何度も書いて保存、送信ボタンを押してはそこでフリーズしてしまって、テキストが水の泡…、という不幸な出来事が重なり、毎週木曜日の更新もままならず、今日は実家のパソコンからアップしているありさまなのです。
パソコンを触らない日が、そうでない日を大きく下回るようになったのは、いつ頃からでしょうか。特にインターネット。旅行の航空券の手配も銀行の取引も、美術館やレストランの情報から海外のホテルや路線バスの予約に至るまで、何もかもといってしまえるほど、ネットに頼り切っている生活になってしまっています。ほんの10年ほど前までは、想像も出来なかったことです。
かつて二度ほど、部屋でインターネットどころか、電話もできない生活をしたことがありました。一度目は桐朋学園の寮生活時代で、外部から電話があると近くにいる人がそれを受け、部屋のブザーを鳴らすか館内放送で「404号室の鈴木さん、お電話です」と呼び出すシステムでした。その放送を受けるや、四階からであろうがお風呂の更衣室だろうが、マンガによくでてくる「ピューッ」という擬音が聞こえてきそうな勢いで、電話口に飛んでいくのでした。部屋に電話がなくても意外に不便さはなかったな、という印象でしたが、考えてみたら当時連絡を取り合いたい友人はほとんど寮の中にいたので、なんのことはない、直接ドアをノックするか、練習中ならドアにメモをはさんでおけばそれで事足りたのでした。
二度目はさらに、電話からもインターネットからも完全に遮断された生活を送っていた、ハンガリー留学時代です。当時、部屋に新たに電話を引くというのは不可能に近く、そのために必要な時間は申請してから10年とも20年とも言われていました(ハンガリーやポーランドで日本以上の勢いで携帯電話が普及した背景には、料金の安さだけでなく、こうした劣悪な電話事情があったからだ、とも言われています)。どうしても家族と話したい時には電話のある場所に行きますが、そんなことは何度とありませんでしたし、家族とのコミュニケーションは、充分に手紙のやりとりでとれました。友人との連絡はリスト音楽院の掲示板で取り合えましたし、なんだったら直接アパートメントを訪ねてもいい。(さらにいざという時には、“電報”というロマンティックな(?)手段もありました。)
メモ、手紙…。いずれも電気やバッテリーを使うことなく、手仕事だけで用を足せたのですから、今よりもずっと地球に優しい生活をしていたことになります。優しい、というのは地球にだけではありません。肉筆の文字による“便り”には、活字のものとは一線を画す優しい温かさがあります。人柄や、その時の心理状態(?)までもがにじみ出て、なんども読み返したり、場合によっては部屋の壁に飾っておいたりしたくなるのです。
コンサートのご案内をお送りした方から、直筆のお返事を頂くことがあります。「ありがとう。喜んでお伺いさせて頂きます。」「今からとても楽しみです。どうぞ体調にお気をつけになって…」送ってくださった方からのお心のこもったひと言ひと言に、心から感謝しながらじっくりと目を通すひと時は、私の至福の時間です。自分もできる限り、手書きのメッセージを添えるように心がけていますが、筆まめ、というレベルからは段々遠ざかってしまいました。かつては手紙(メールって“手の紙”なのですね)を書いて送るのが大好きな『手紙ー(てがまー)(?)』だったのに。
ひと言ひと言を手紙にしたためるのも、ピアノで一つ一つの音をつむぐのも、人の手仕事。これからもしばらくは、相変わらずパソコンのない生活なんて考えられない日々が続くこととは思いますが、そんな時代にあってなお、手仕事――手の温もり――とかかわりながら毎日を送れるしあわせを、改めてかみしめたくなりました。
ところで、今度のコンサートが終わったら、ウィルス対策にもすぐ取り掛からなければ!…それが解決するまでは、このエッセイの更新が不規則になりがちになると思われますが、どうぞご了承下さいませ。